2020年6月7日日曜日

ユウスゲのこころ



 昨夜からユウスゲが咲き始めた。苗を買ってからもう五年

ぐらいだろうか? ユリ科で、よく名の知られたニッコウキ

スゲに近い種だが、一晩だけ咲いて翌朝にはしぼんでしま

う。レモンイエローの、よい香りがする、どことなく気品を

感じさせる花だ。


 この花は、『求めない』を著した加嶋祥造さんが愛した花

でもある。

 私がこの花を手に入れて育てたいと思ったのが、加嶋さん

の影響だったかどうかは、もう憶えていない。けれど、同じ

花を愛しく感じること、ましてや一晩の間だけ人知れずに咲

く花に親しみを覚えるなどというのは、何か特別な縁を感じ

る。ホントは「縁」に特別も何もないんだけれど・・・。


 夜の野で、すう~っと背を伸ばした一輪の花が、夜が明け

るまでの間だけ、当然の事として自身を咲いている・・・。


 ユウスゲは、その香りで蛾を誘っているのだろうし、その

レモンイエローは、蛾などの夜行性の昆虫には目立つのだろ

う。マツヨイグサなどの夜に咲く花も黄色だし・・・。そし

てその形は、関わりの深い虫が訪れた時に、受粉しやすいよ

うになっているのだろう・・・。

 そのように、ユウスゲの姿からも自然界の合理性が見て取

れるけれど、それですべてというわけでもないだろうな。こ

の世界は、実利的なことだけでは説明しきれない。そもそも

「説明」が野暮だとも言えるし・・・。



 「美しい・・・」

 単にそれだけでいい。人が花を見て「美しい」と感じるこ

と自体が説明不能なんだし、それで十分であって、他の見

は、どちらかといえばオマケだと言っていいだろう。はな

ら、ユウスゲは何も語っていないし、語らないからこそ「美

しい」のかもしれない。

 何も語らず、ただ一晩、闇の中で沈黙のうちに咲き続け

て、朝にはやはり沈黙のまましぼんで往く・・・。人間とは

えらい違いだ。


 求めない・・・。

 その香りで蛾を誘っていると人は考えるけれど、それはユ

ウスゲ自身の為なのか、蛾の為なのか? あるいは、別の何

かの為なのかもしれない。本当のところ、ユウスゲは何も求

めてはいないのだろう。そこに、「蛾を誘って受粉する為

だ」という見方を持ち込んでしまうのは、人の業なのだと考

えた方がよいのではないか? もう、そういう時代になって

きたような気がする。


 ユウスゲはジグソーパズルのピースのひとつの様に、た

だ、そこに在るべき姿としてそこに在るだけで、世界の関係

性が生み出した “自身” をただ生きるだけ。本当はわたした

ち一人一人もそうなのだ。社会的な実利性・功利性といった

ものに、こころの底まで侵され、わたしたちは “本質的な価

値” が見えなくなっている。


 “本質的な価値” とは何か?


 求めないこと。

 求めないでいられること。


 それは、今の自身の在り方に満足していることを意味す

る。



 ユウスゲの姿が語っている。


 「この世界が自分を生み出して、いまここで自分を咲かせ

ている。いまここで、こうして自分が咲いていることが自分

のすべてだ。それ以外に、いったい何がある?」



 私がこのパソコンを閉じ、眠ったあとも、ユウスゲは夜の

を咲き続ける。

 すう~っと、静かに、その美しさを誰に誇るでもなく、そ

の在るべき在り方で・・・。



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