答えは無い。・・・いや違うな、「正解は無い」というの
が正解だな。
タイトルを付け直そう。
〈 正解は無い 〉
このタイトルには、二通りの意味がある。
一つめ、「この世界のどんな問題にも正解は無い」
二つめ、「そもそも問題が存在しないので、正解も無い」
一つめについては、これまでにもこのブログの中で、そう
いった話を書いてきた。
この世界のどんな問題に対する解答も、すべては暫定的で
便宜的なものであるとうこと。表れた解答を「正解」とする
かどうかは、人それぞれ、その時々の都合・気分によるので
あって、《「正しい」とは、そういうことにしておけば気が
済むということ 》なのだと。
数学のような、アタマの中で完全に合理性だけが支配する
事柄には「正解」が存在するが、それとて「〈 1+1=2 〉
ということにする」という約束の上に成り立っているのであ
って、言わば「正解があることとして・・・」というお話し
だ。
その数学を利用して、現実世界でさまざまな事が出来る。
探査機を小惑星に着陸させたり、世界をリアルタイムで通信
網で繋いだり・・・。だからといって、“数学は現実世界に
も「正解」が存在することを証明している” ということには
ならない。
数学(計算)が現実世界で有用で、現代ではもの凄いこと
を成し遂げているように見えるのは、コンピューターの発達
で計算の誤差がとてもとても小さくなって、人間の感覚的に
は「完全」であるかのように見えてしまうからだ。
しかしそれはどこまで行っても、「精度が高まる」という
ことにとどまる。それを越えて「完全」になることはできな
い。人が現実世界を合理性だけで捉えるのは不可能だ。なぜ
なら、現実世界には “1” というものが存在しない。“1” は
概念として、人の頭とコンピューターの中だけに存在するも
ので、それを現実世界に持ち出すことはできない。
「1+1=2」という時の、一つめの “1” と、二つめの
“1” は、まったく同じものでなければならないのだが、現実
の世界にはまったく同じものは二つと存在しないので、現実
世界では、数学は「計算の誤差(精度の限界)の許容範囲」
内でのみ “「正解」という夢” を与えることができる。
事程左様に、世界に「正解」は無いのだが、アタマはそれ
自身の中に「正解」というものを持つことができるので、ア
タマの外にも「正解」があり得ると錯覚しがちだ。そのこと
がさまざまな問題を生んでしまうのだが、あわれなアタマは
そのことを理解しようとはしないのが普通なのだ。困ったも
んだ。
では、二つめ。
この世界にはそもそも「問題」というものが存在していな
い。「問題」が無いのだから、「正解」などというものの出
る幕も無い。
「問題」というものも、わたしたちのアタマの中にしか存
在しない。
世界には「問題」など無いので、「正解」どころか「答
え」も存在し得ない。世界はそのまま、あるがまま、「世
界」としてアタマの外に在る。言うなれば、“世界は、こち
らが問いかける前から答えている” 。
なので、わたしたちは問うことなどせずに、ただ “世界の
答え” を見て聞いていればそれでいいということなのだ。
答えは無いというところから始めたけれど、答えはあった
ね。
アタマの外に・・、アタマが理解できない形で・・・。
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