2021年4月4日日曜日

雨の中のスイートピー



 正午ごろから雨が降り出した。この雨で桜の花は一気に散

るだろう。“花散らしの雨” だね。

 家の前では咲き始めたばかりのスイートピーが雨に濡れて

いるが、なんとなくスイートピーには雨が似合う気がする。

まぁ、私の好みということなんだろうが。


 スイートピーには、その可憐な姿には似つかわしくなく毒

が有る。アフリカなどの貧しい地域ではスイートピーの豆を

食べたりもするそうだが、食べ過ぎると足に障害が出るらし

い。属名のラティルスから「ラチリズム」という病名で呼ば

れる。

 スイートピーに限らず、わたしたちの身の回りには毒のあ

る植物はいっぱいある。こういったものの毒性は、昔の人が

食べて、病気になったり、死んだりした経験から知識として

蓄積されてきたので、それらの人々の犠牲がなければ、わた

したちは何ひとつとして安心して口にすることができない。

まったくご先祖様のおかげである。

 その一方、今のわたしたちは、そのようなことでは恩恵を

受けているが、人が仲良くするというようなことでは、ほと

んど何も学んできていない。何も知恵が残されなかったわけ

ではなく、その手のことを学ぶことを、わたしたちが苦手と

しているから・・・。本当に、人は人と仲良くするのが苦手

だ。何千年もかけてきたのに賢くなれない。アタマが悪いま

まで数千年か・・・、どうにもならないのかなぁ。


 人がよく話題にするのが、「からだに良い食べ物」「から

だに悪い食べ物」のことだけど、実は「からだに良い食べ

物」も「からだに悪い食べ物」も無い。すべては量の問題だ

から。猛毒でも、ごく微量なら影響はないし、それが薬とし

ての役目を果たすこともある。逆に、生きる為に不可欠な水

だって、飲み過ぎれば害になるくらいだ。最近は「水中毒」

なんて言葉も使われるようになったしね。

 それと同じで、仲良くすることも程度問題ということでは

あるまいか?

 仲良くし過ぎると、相手を侵害して仲が壊れてしまった

り。嫌うにしても、自分を守ろうとし過ぎることで、壁を作

ってしまい、敵対してしまう。

 敵でも味方でもなく、お互いに、アタマが悪く、出来損な

いで、それぞれが “「自分」という孤独” の内に生きている人

間だと意識していれば、程よい関りを持てるように思うのだ

けどね。


 スイートピーがその内に毒を持っていることを知っても、

「あれには毒が有る」と眉をしかめるにはあたらない。スイ

ートピーが毒を持っているのは、それがスイートピーとして

の在り方だというだけのことで、食おうとしなければなんで

もない。

 誰かが、その内にひとを恐れさせるものを持っていたとし

ても、やはり眉をしかめるにはあたらない。それがその人の

在り方なんだから、付き合えなければ距離を置けばいいだけ

のことだろう。刃物を持って襲いかかってきたりしたら、ま

ぁどうにかするしかないけど、どうにかできたら、「お互い

に出来損ないだからなぁ・・」ということで、それでおしま

いにすればいいと思う。(「あんた出来るのかよ」なんて言

わないでね)


 今日はこのまま雨が降り続くそうだが、眉をしかめるには

あたらない。雨ゆえに、スイートピーはまた違う美しさを見

せている。ちょっと傘をさして外へ出てみることにしよう。

 










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