2021年4月3日土曜日

「それ」で完璧



 ジャスミンが咲いたので香りを入れようと窓を開けたら、

ケラの声がしている。

 今の時代、ケラと言っても分かる人は少ないのかもしれな

い。コオロギなんかに近い種類の虫で、モグラのような前肢

を持ち、おもに土の中で生きている虫のことです。その虫

が、この季節になると夜中鳴く。「ジーーーーーー」とか

「ビーーーー」とかいう、まるでモーター音のような声で

(音というべきか)。この虫のことを知らない人ならば、

「何の音だろう?」と思うぐらいだろう。

 ケラの姿を見ることはまず無い。なにしろ土の中にいるの

が普通だから、畑や花壇を掘り返していてたまに出てくるこ

とがある程度だろう。なので、特に街に住む人が目にするこ

とはまず無いと思う。そういう見えない存在のような虫では

あるが、見えない所でケラは生き続けている。


 けらという ものにうまれて 泳ぎおり


 そんな句がある。

 誰の詠んだ句なのかは知らない。その人は、たまたま池か

水田に落ちたケラがもがいているのを見たのだろう。ケラは

たぶん泳げないだろうから、なんとか地面にもどろうとジタ

バタしている。その姿を見て、その人は生きているというこ

とへの感慨を深めたのだろう。

 これに似た句がある。前にもブログの中に書いた。


 神これを創り給えり 蟹歩む 〈 誓子 〉


  「それ」として生まれたから、「それ」を生きている。

「それ」以上でも「それ」以下でもない。生きているという

のは、言ってみればそれだけの話。ただ、人間だけは「そ

れ」だけでは済まない。アタマが余計なことをするので「そ

れ」だけなんて納得できない。で、自分が「それ」だけの存

在ではないと思いたがり、自分に何か値打ちを持たせようと

右往左往する  他人にまで求める。けれど、何を考え、何

をしたところで、「そういうことをしている」というだけの

話であって、結局「それ」だけの話。

 何をしても、それは “お話し” 。その “お話し” を楽しむ分

にはいい。けれどそれが “お話し” であることを忘れがちなの

が人間で、下手をすればその “お話し” に飲み込まれて殺し合

いまでする。


 人というものにうまれて 殺し合い


 「人」として生まれたから、「人」を生きている。それが

殺し合いだなんて、なんて馬鹿々々しいんだろうと思うが、

「それ」が「人」なんだからしょうがないね。ああ、アタマ

が悪い。

 少なくともケラは怒らないだろう。全身全霊、迷うことな

くケラとして生きている。「それ」以外に無い。「それ」だ

けのこと。「それ」だからこそ完璧。


 人も、右往左往して、泣いて笑って怒って怯えてというの

が、人としての「それ」なのだろうから、「それ」でいいの

だということだろう。バカボンのパパなのだ。


 私というものにうまれて ブログ書き


 「それ」でいいのだ。「それ」が何になるかなんて知った

こっちゃない。そういう風になっているだけのことなのだ。




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