2021年7月4日日曜日

病気と体調 ~ “病原体感染可能症” について~



  去年から、コロナのことばかり考えながら過ぎているよう

で不愉快な日々が多いのだけど、そのおかげでこれまで思い

もしなかったことがあたまに浮かんだりする。最近浮かんだ

のが、病気と体調ということ。そして、思ったのが「病気っ

て存在しないんだな」ということだった。


 「病気」って存在しないんですよ。いろんな「体調」が有

るってことだけです。

 たとえば、今なら『新型コロナウイルス感染症』という病

気と『インフルエンザウイルス感染症』というふうに、分け

て考えるけど、それはウイルスの区別ができる(区別する)

から分けるのであって、これが五十年前だったら分けられな

い。新型コロナに感染していようとインフルエンザに感染し

ていようと、「ちょっとひどい風邪を引いたようだ」という

ことでけりがつく。

 同じように、たとえば耳が聞こえにくくなるとしても、今

では原因を調べていろいろな病気に分けるだろうけど、昔な

ら「耳が聞こえにくい」ということで片が付く。

 そのように、それぞれ個別の病気は、区別することによっ

て発生する。区別しなければ発生しない。診断を下すことが

病気を生みだすのであって、診断しなければ、ただ「そのよ

うな体調である」ということにとどまる。そして、そういう

見方を突き詰めてゆくと、「調子がいい」「調子が悪い」と

いうだけの話になってしまって、「病気」という概念は消え

てしまうことになる。ずっとずっと昔はそういうことだった

だろう。「病気」は医者が生み出すのだ。(今は、製薬会社

の貢献も大きいだろう)


 昔なら「今日は頭が痛い」というだけのことだったのが、

現代では頭が痛いというだけでも、あれやこれやと病名が思

い浮かんで悩ましいことになったりする。

 医者にかかり、診断を受けて病名が付き、治療をしてそれ

で良くなればよいが、なかなかそうも行かない。そういう場

合、細かな診断と病名(病気の区分)は役に立っていないの

でムダである。かえって、大雑把に捉えて対処した方が良い

こともあるだろうが、細分化して複雑にしてみせるのが、医

学に限らず学問というものの業なので、そのあたりの意識の

低い医者にかかるとなにやら面倒なことになったり、いっこ

うに良くならなかったりすることになる。


 昔にくらべて日本のような先進国では、総じて寿命は延び

ただろうが、一番の要因は上下水道の整備や衛生的な食品流

通の発達などの衛生環境の向上であって、そこに医学はあま

り貢献していないだろう。むしろ健康診断に代表されるよう

な検査と診断が常態化したことで、からだに不具合を感じて

いない人間まで「病気」とされるようになり、「病人」の割

合は増えたのではなかろうか? 現代医学は物事を面倒にした

だけなのかもしれない。その分、上手くやれば金はもうかる

かもしれないが。


 少し強引な話をするけど、今回、人類のほとんどにワクチ

ンという薬を使おうとしているが、普通、薬というものは

「病人」に使うものだから、ワクチンを打つ人は「病人」だ

と言えるかもしれない。製薬会社や感染症の専門家や厚労省

や WHO なんかからすれば、わたしたちはみんな “病原体感

染可能症” とでもいうような「病人」なのだろう。さらに言

うならば、生きていることは “不可逆性死亡症” とでも言うべ

恐ろしい病なのだろう。


 生きてるだけで「病人」だなんて、こんなことなら生まれ

て来なければよかった・・・。

  “医学がデカい面をし過ぎている世の中に・・・” というこ

とだけれども・・・。






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