2021年7月9日金曜日

悟りとは何か?

 

 《 悟りとは落ち着かない状況に腰を据えることである 》


 「一年前、何を書いただろうか?」と思って、ブログを読

み返したら、「‥落ち着かない状況に腰を据える」などとい

う言葉が書いてあった。

 「ムチャなこと書いてるなぁ」と思いつつ、面白いからこ

の言葉で一つブログを書こうということで、しばらくぼ~っ

としてたら冒頭の言葉が浮かんで来た。


 「腰を据える」というのは「落ち着く」ということなの

で、「落ち着かない状況に落ち着く」というムチャを書いて

いるわけではあるけど、「悟り」へ導こうという仏教の言葉

などというものは大抵ムチャなものなので、これしきの事は

驚くに足りないし、驚いてはいけない。なぜなら「驚かな

い」ということが肝になるからだ。


 驚かなければどうなるか?


 「落ち着かない状況」であっても、「驚かない」ことにす

る。

 徹底して「驚かない」。

 驚いてみせることを辞める。

 その結果、“状況” から「落ち着かなさ」が消える。「落ち

着かなさ」は “状況” が生んでいるのではなく、自分が生んで

いるからだ。


 わたしたちは、未経験のこと、想定外のことに出会った時

に、「驚く」ようにプログラムされている。

 生物として当然な部分もあって、そこのところはそれでい

いのだが、社会的に組み込まれてしまっている部分について

は、削除した方が幸福になれる。なので、驚いてみせること

を辞める。

 衝撃的なニュースを耳にしても、「エーッ!」と驚かず、

「あ、そう」と反応してもイイわけです。


 「検査の結果、あなたはガンです」

 「あ、そう」


 それでもいいのです。驚こうが驚かなかろうが、ガンはガ

ンです。

 驚くのが好みの人もいますから、そういう人は驚けばいい

けど、それで何か良いことがあるとも思えません、当人はそ

の方が気が済むのでしょうが、単に「こういうことは、驚い

て、ショックを受けてみせるものだ」と思い込んでるだけで

しょう。

 現代ではちょっと知識と経験を重ねれば、この世界の出来

事にいちいち驚く必要はないと分かるはずです。


 「不幸」と言われることがどういうことかをわたしたちは

知っています。

 病気・事故・災害・貧困・死・・・、「例を上げろ」と言

われればいくつも挙げられるでしょう。数十億年後には地球

自体が太陽に飲み込まれて無くなるなんてことまで想定して

います。知識と経験によって、自分と自分の生きているこの

世界に起きうる事をだいたい把握しています。だったら、

「そういうことはあるものだ」ということで、たいていの事

には驚かなくていい。「こういう時は驚くものだ」などとい

う世の中のムードにいちいち付き合う必要はない。


 「あ、そう」


 起こってしまうことは止められない。

 起きてしまったことは変えられない。

 事実として立ち現れて来た事は、受け止めて対処するしか

ない(「逃げる」という対処も込みで)。それがしばらくの

間、自分を落ち着かない状態に引き込んだとしても、それが

事実ならそれを生きるしかないのだから、驚いたってしよう

がないし何にもならない。

 驚かないことで、その「落ち着かない状態」に腰を据える

ことができる。「お~、揺れるなぁ~」みたいな、一歩引い

た視点で、自分の置かれた状況を見ることができるはず。


 私のモットーの一つで、《 やるのなら、機嫌よくやる。機

嫌よくできないのなら、やらなければいい 》というのがあり

ます。そして、この言葉はさらにこう続きます。

 《 生きるなら、機嫌よく生きる。機嫌よくできないなら、

生きなければいい 》

 どうせ生きているのなら、どうせ死ぬのなら、機嫌よくし

ているのに越したことはない。


 「生老病死」「四苦八苦」。誰もそれから逃れられない。

分かり切ったことなのに、起きるのが当たり前なのに、みん

なが深刻にうろたえてみせたりする。そんなことに付き合う

必要はない。

 「あっ、わたしの場合はこういうパターンなのね。ふう~

ん・・・」と、初めて行ったカフェで頼んだランチが運ばれ

てきたように、自分に起こる出来事を見ればいい  まぁ、

頼みもしていない事が起こっちゃうんだけど・・・。


 わたしたちは、世の中で「不運」とされることに大袈裟に

反応するように刷り込まれている。現代ではそれがさらにエ

スカレートして、「不運を予感させる事(不安)」を聞かさ

れただけで、国までが揺れるほど大袈裟に右往左往する。も

はや狂気の沙汰です。


 自分も世界も変化し続けている。一見落ち着いているよう

に見えたとしても、本当は、何ひとつ、一瞬たりとも落ち着

くことはない。逆説的だけど、落ち着くことが可能なのはわ

たしたちの心だけです。思考と感情の後ろに広がっている、

何ものにも乱されることのない意識のスペースに気付け

ば・・・。


 わたしたちにそういうスペースが持たされているというこ

とこそ、驚くべきことでしょう。



 

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