2021年10月22日金曜日

しあわせになろう



 パソコンを前にして何かが出てくるのを待ってい

る・・・。


 という一文をいま打ち込んだということは、何かが出てき

かけているということなのだろう。ブログを書くかどうか、

書けるかどうかもご縁なのだ。私の意志でも能力でもない。

書けるときは三日ぐらい立て続けに書くこともあるし、ニ三

週間何も出てこないこともあるけど、私の関知するところで

はない。仕事でもないんだし。でも、今回は何が出てくるの

だろう?出まかせにお任せしながら進めてみたい。


 一昨日、阿蘇の中岳で噴火が起きた。噴火といっても、あ

の程度は一つ咳をした程度のことで、火山の活動としては

「日常」レベルのことだ。阿蘇が本気を出したら日本は滅び

てしまう。この前本気を出したのは3万年ほど前だっただろ

うか?うろ覚えだが、それぐらいだっただろうと思う(私が

3万年以上生きているわけではない)。それから一万年以上

経ってからわたしたちのご先祖様が日本に入ってきたので、

なんとか生き延びているけどね。ちなみに、6千年前の鹿児

島の鬼界カルデラの噴火では九州の縄文人は滅んでしまった

のだ。


 そんなことが起こるのは勘弁してほしいと思うけど、どう

せいずれは死ぬ身なのだから、そういう自然の大イベントを

見てみたいという気もする。


 もしも、百万年ぐらい前に火山の活動が止まり、地震によ

る造山活動(地面の隆起)も止まっていたら、風雨と海によ

る浸食だけが進み、日本列島はまるで魚の骨のように貧弱な

島になってしまっていたことだろう。とても人が住むことは

出来ない。天変地異有ればこそのわたしたちの暮らしなの

だ。・・・なのだが、ほんとうに阿蘇がカルデラ噴火を起こ

せば、わたしたちは本当に滅びる。わたしたちのこの暮らし

は、自然の大事件と大事件のはざまの、ほんのひとときの夢

物語のようなものなのだ。そう考えると「もうちょっと、仲

良く機嫌よく暮らせないものか?」と思う。


 この夢物語の中、わたしたちはロクなことをしてこなかっ

た。けれど、ここにはチャンスも与えられている。人が本当

にしあわせになる可能性が与えられている。

 この数千年の間に、その為の智慧をもたらす人が何人も現

れ、そしてその智慧は受け継がれて来た。私のようななんで

もない人間がこんなブログを書くことができるほどに。


 せっかくの夢物語の時代なのだ。本当にしあわせになって

みようじゃないかと思う。人類に目的があるとするならば、

そういうことではないだろうか。


 人類の夢物語の中の、さらにわずかなひとりひとりの夢物

語。

 「いい夢見ろよ!」は柳沢慎吾の決め台詞だけど、いい夢

を見る為には、夢を夢と知っていることと、自分が夢を見て

いることを面白がってしまう智慧が求められるだろう。

 「自分は夢の外で、それ(夢)を見ている」と。

 そして、その場所が、夢の中の右往左往に無関係の完全に

平穏なところであり、その平穏こそが本当のしあわせなのだ

と気付き、その気付いている者こそが、本当の自分だと知

る。これ以外、これ以上のしあわせは無いと。


 たぶん、ほんのわずかであろう人類の時代。そんなに長く

は残されていないかもしれない。ましてや、ひとりひとりの

時間はごくわずか。せっかくだからしあわせになってしまお

うじゃないか。


 久しぶりに書こう。

 《 しあわせになるのに理由はいらない 》



  

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