2021年10月30日土曜日

命を守るのだそうだ


 今日のニュースで、「アメリカでは5歳以上の子供にもコ

ロナワクチンを接種して行く方針である」と伝えていた。子

供・若い世代の重症化リスクはほとんど無いに等しいのに、

なんたることかと思う。アタマがおかしいと思うが、まぁそ

もそもアタマはおかしいものだから驚いていてはいけないの

かもしれない。


 「命を守る!」と言うけど、守ろうとしているのは、実の

ところ “エゴの命” だろう。感染症という自然の成り行きをコ

ントロールして、自分の思い通りにしたいのだ。(コントロ

ールしようとすること自体が、影響を受けてしまっていると

いうことなんだけどね)


 人の命というものも、当然ながら自然から生みだされたも

のだから、自然の成り行きの中にあるものだ。けれど、歴史

を見ても、人は「自然から自由になって思い通りにしたい」

と考え続け、活動し続けて来たのだと分かる。文化の半分以

上はそれによって作られてきたと言っていいだろう。けれど

「自然から自由になる」ことは、自然から乖離することを意

味する。はたしてそれで満足できるのだろうか?


 アタマは世界の事を完全に分かっていない。分かっていな

いどころか、考えるほどに世界は細分化され、収拾がつかな

くなっている。現代人は自ら複雑にしてしまった世界の中で

混乱してしまい、苦し紛れにそれぞれが自分の都合の中で自

己暗示にかかっている模様だ。でも、アタマは自分は分かっ

ていると考える。自分がバカだということさえ分からないの

にだ。


 「分かる」という日本語が示すように、「分かる」とは

「分ける」ことだ。アタマが世界を分けてしまうので、世界

を分かろうとする度に、意識の対象が増えて行く。元々は一

つで “全なるもの” である世界はどんどんバラバラになってゆ

く。それが便宜上のものだと気付いていればいいのだが、

けてしまってるだけなのに、分かった気になっている。大抵

は余計な面倒を増やしているだけなのに・・・。


 世界を分けて、自分の都合に合わせて繋ぎ変えて、それで

上手く行くつもりなのだろうが、これまでどれほど大きな過

ちを繰り返して来た事か。

 「今回は上手く行く・・」

 いつもそう思うのかもしれないが、私はそんなこと信用し

ない。アタマは悪さをするのだ。今回のニュースなどは合理

性も何も有ったもんじゃない。私の悪いアタマでさえ呆れて

いる。


 不必要なのが明確な注射をされることになるであろうアメ

リカの子供たちが可哀想だ。

 誰がバカなのか、悪どいのかは知らないが、「自由の国ア

メリカ」は「自由にされる国」になったのだ。

 自由(わがまま)が過ぎると、行き過ぎて、心と身体が置

いてけぼりになるということだろう。


 さて、心と身体と自然を置き去りにして宙に浮いたアタマ

(エゴ)は、生きながらえてそこで何をするのだろう? 私に

言わせれば浮遊霊のようなものだが、それで嬉しいのだろう

か・・・。



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