2022年3月5日土曜日

どっちが「善」?



 先日、ロシアがウクライナに侵攻して、連日そのニュース

が沢山流れる。「ああ、アタマが悪いな・・・」と思いなが

ら過ごしているが、こういうことが起こると、ニュースも何

も普段以上に信用できない。

 十年以上前に『戦争広告代理店』という本を読んでから

は、紛争が起きた時に流される情報などそのままに受け取れ

ない。


 『戦争広告代理店』という本は、ボスニア・ヘルツェゴヴ

ィナ紛争の際に行われていた情報操作を暴いたノンフィクシ

ョンで、「国際政治の裏側では何が行われているのかなん

て、ごく一部の人間しか知り得ないのだ」ということを認識

させてくれる一冊だった。この本に書かれていることが10

0%事実とは言えなくても、「そういうことが行われてい

る」というだけで十分だろう。


 世の中にはさまざまな「陰謀論」などというものもある。

私はそういう話は「話半分」以下で受け止めている。けれ

ど、今回のウクライナ侵攻も、裏で何が行われているかは分

かったものではない。普通に考えて、ロシアにメリットも理

由も有るとは思えないので、ロシアという国の為ではなく

て、各国の支配者層の金儲けの為の猿芝居なのかもしれない

いう気がしている。なんにせよ、私などに真実なんか知り

うがないので、そういう意味で他人事だし、ウクライナ、

シアの両国民で私のように真実を知りようもない立場の

人々にとっても、言わば “他人事” だろう。

 酷い目に遭わされることだけが “自分事” だと考えておいた

方が良いだろうと思う。“誰か” が、そいつらの都合で勝手に

始めたことなのだということだけは、間違いないだろう。


 当事者たちは精神的・肉体的・経済的に苦しめられ、第三

者は与えられる情報を元に同情と憎しみを掻き立てられてし

まうけれど、少なくとも第三者は心理的に距離を置いた方が

賢明に思う。そして、これは無理な話だとは分かっているけ

れど、当事者も心理的に距離を置く方が良い。“誰か” の悪だ

くみに乗せられて、モロに巻き込まれてしまうのは不愉快で

不利益ではないか・・・。


 いまのところ、プーチンが悪いことになっている。

 私はプーチンに何の思い入れも無いが、ことはそう単純じ

ゃないだろう。先にも書いたけれど、ロシアにメリットも理

由も無いようにしか見えない。ならば、裏の理由があるか、

はたまたプーチンの気がふれたかのどちらかでしかない。


 『愚か者ほど出世する』というタイトルの本があるけれ

ど、権力を持ちたがるような人間の言うことを真に受けてる

と「愚かさ」が感染する。

 社会という「必要悪」のシステムの中で有利な立場に立つ

ものは、当然ながら「悪」だと考えておいて間違いは無いだ

ろう。ごくまれに例外もあるかもしれないが、そのような人

間は遠からず排除されるか、変節してしまうことだろう。


 ダシにされ、踏みにじられ、コケにされ、いつも割を喰ら

うのは庶民だ。

 それを免れる為には、“誰か” の演出する騒ぎに乗せられな

いことなのだが、既に大勢が乗せられてしまった後では、そ

れに抵抗するのは不可能に近い・・・。巻き込まれてしまう

人たちは本当に気の毒だ。


 アタマが悪さをすることを、私は「アタマが悪い」と言

う。戦争はその最たるものだが、たとえ独裁者であっても、

ひとりで戦争を起こすことはできない。まわりの多くの人間

たちのアタマの悪さが発揮され、集約されて、はじめて独裁

者(あるいは一部の支配者層)は大きな力を持ち、戦争も起

こせる。まわりにいるのが知性を持つ者たちならば、独裁者

は “ひとりのバカ” にとどまる。本当に怖ろしいのは群衆なの

だ。


 群衆は、時にあからさまに暴力的であったり、時には善良

な弱者のようであったりもするけれど、どちらにせよ、多く

の場合、群衆は興奮状態にある。人が持ち得るわずかばかり

の知性さえ忘れているものだ。そして「善」を掲げながら、

相容れない立場にある者に圧迫を加える・・・。


 人として真っ当でいたいのならば、他者に対して誠実であ

りたいのならば、自分自身が平和と共に在りたいのであるな

らば、群衆の一人になるべきではない。


 どう表現するのが適切なのかは分からないが、“沢山の一人

の中の一人“ であるべきとでも言えばいいだろうか? それ

が、社会の中で自分と他者を守る最善のことではないだろう

かと考える。現実の世界の中では、それが絵空事だとは分か

ってはいるけれど、私はそう思う。


 社会に本当の「善」は無い。




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