2022年11月14日月曜日

かたじけなさになみだこぼるる



 どういうご縁か知る由もないけれど、なぜかこんなブログを

書き続けている。それが何になるのかならないのか知らな

い。知ったところでどうにもならないし、知る必要も無いと

思うけれど、ただ〈なにごとのおはしますかはしらねども 

かたじけなさになみだこぼるる〉という西行の歌を思い出し

たりする。


 今日は、カーペンターズのカレンの美しい歌声をずっと聴

いているけれど、40年以上も前の歌をこういう風に今も聴

いて心揺さぶられる。・・・かたじけなさになみだこぼる

る。


 きれいな空を見上げる。輝くように開いているキンセンカ

の花を見る。久しぶりに降った雨の湿り気を感じる。雨の音

を聴く・・・。かたじけなさになみだこぼるる・・・。い

や、本当に、なみだがこぼれてくる。


 自分は決して良い人間ではない。取るに足りない存在だ。

それでも、こんなに美しく温かな思いを受け取れる。自分の

どこにそんな値打ちがあるだろうか・・・? なにごとのおは

しますかはしらねども かたじけなさになみだこぼる

る・・・。


 それこそ思い上がりかもしれないけれど、私が持つこの思

いと、西行が抱いた思いは同じものだろう。そうに違いな

い。


 なぜ生まれてきたのか知らない。

 なぜ生きているのかも知らない。

 いつ死んで、どうなるのかも知らない。

 何も知らないが、自分が生きているこの世界、この時代の

中で、自分のような者が、美しさ温かさ清々しさ和やかさを

感じられる。「なんてありがたい事か」と思う。かたじけな

さになみだこぼるる・・・。


 さまざまな不安や苦しみ、気苦労が有る。けれど、それら

を凌ぐ喜びが有る。それらが問題にならない心の場所が与え

られている。それは私だけではなく、すべての人に与えられ

ているだろう。けれども、どうやら生きているうちにそれに

気付ける人は少ないようなのだ。だからこそ、「なぜ、自分

のようなものがそう思える?」。そのことに対して、かたじ

けなさになみだこぼるる・・・。そして、その「かたじけな

さ」や「なみだこぼるる」ことが、さらにかたじなくてなみ

だこぼるる・・・。


 本当に、いま、私はかたじけなくて泣いている。


 生きている。

 苦しみも喜びも、神々しさもくだらなさも受け取りなが

ら、それを受け取れることができるこの〈自分〉というもの

に驚いている。

 「これはいったい何なのだろうか?・・・」


 ただ、かたじけなさになみだこぼるる・・・。






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