2022年12月16日金曜日

マインドコントロール



 いまだに旧・統一教会(と表記するのが公式のようなの

で)関係のニュースが多いので、それに伴ってマインドコン

トロールという言葉もしばしば耳にするのですが、もともと

はマインドコントロールという言葉が気に入らない。一つ

は、「マインドコントロールと説得・折伏・教育に違いはあ

るのか?」という思いがあること。二つ目には、マインドコ

ントロールされる側が、それを求めているだろうと思うこ

と。三つ目には、マインドコントロールされていない人間は

いないと思うこと。もう一つは少し話がズレるのだけれど、

マインドコントロールは布教の為に行われることが多いけれ

ど、「布教と営業に違いはあるのか?」ということ。営業活

動というものも、大なり小なりマインドコントロールだろう

から、「マインドコントロールがいけないというのなら、あ

らゆる営業活動についても問題にすべきなんじゃない?」な

どと思っています。

 わたしたちの人生は常に不完全です。わたしたちは満足す

るという能力を欠いているので、常に何かが欠けているとい

う意識で生きている。そこを埋めるものとして宗教はよく使

われるわけですが、それ以外にも、社会的に認められたさま

ざまな能力(頭の良さ、運動能力、芸術的才能、金を稼ぐ能

力など・・・)を高めることで、不完全さを補おうとしま

す。そういったものに価値があり、人生をささえるものにな

り得るという考えは、社会から刷り込まれたものですから、

それを信じて疑おうとしないのは、マインドコントロールさ

れているということです。ただ、それが社会に認められてい

る事だから、「マインドコントロールされてる!」と非難さ

れないというだけの話です。


 人間が生きてゆくことの本質からすれば、数億円もするタ

ワーマンションの最上階の部屋を買うことと、壺に数千万円

の金を出すことには違いはありません。それらのマインドコ

ントロールの外に在る人から見れば、「そんなのしあわせと

関係ないでしょう。アタマおかしいんじゃないの?」という

感じです。ただ、そう言う人が、何千本というボールペンの

コレクションを大切にしていて、それに人生の時間の多くを

掛けていたりするかもしれません。そんな極端な事ではなく

ても、大なり小なり、みんな同じような事をしています。似

たもの同士なのです。

 けれど、大抵の人はそういうことに気付かない。「アイツ

はおかしい」と思っています。自分もマインドコントロール

されているとは思わないのです。


 人はすぐに「アイツはおかしい」と言いますが、「自分も

おかしい」のです。「みんなおかしい」のです。たまたまそ

の時代、その場所で認められている側に立っている場合に、

安心して調子に乗っているに過ぎません。

 どんなに飾っても、何かのお墨付きをもらっても、飾ろう

としたり、お墨付きをもらおうとすること自体が、その事に

本当の価値が無いことを示しています。


 人の弱みに付け込んで金を盗ろうなんてロクなもんじゃあ

りませんが、常識、正当と考えられている事の中でも、同じ

ような事がいっぱいあります。マインドコントロールされて

いるので、みんな気付かないだけです。


 「マインド」というものは、コントロールしたがり、コン

トロールされたがるものなのです。

 「マインド」主体で生きる限り、マインドコントロールの

中にあるのですよ。

 まあ、それでしあわせなら別にいいんですけどね。ところ

変われば品変わる。人それぞれですから。

 ただ、「みんなおかしい」のですから、人のことをとやか

く言う前に、自分のことを振り返るというたしなみが欲しい

ところです。そいういうたしなみが無い人間が「マインドコ

ントロール」を問題にするものですから、私は「マインドコ

ントロール」という言葉が気に入らないのですよ。




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