2022年12月11日日曜日

完全無防備



 人は大抵、自分を守ろうと懸命です。

 他者に対して防衛線を張り、牽制し、圧力をかけ、自分に

害を及ぼしにくいところへ誘導したり、「自分は敵ではな

い」と思ってもらおうとアピールしたりして、それでも自分

を守り切れなさそうに思えたら攻撃に出る。自分でそんなこ

とをしていると意識している人は少ないだろうけど、ほとん

ど例外はない。

 そうやって自分が安全になったりしあわせになったりする

のならいいけれど、かえって問題を引き起こして苦しくなる

のが普通です。でも、みんなそれに気付かない。


 バーノン・ハワードという人が、人間のそういう悪癖に対

して、こんな言葉を遺しています。


 人は、自分はいま自分をどうしてよいか分からないと知る

勇気と正直さをもつとき、奇跡は起こる。(中略)あなたに

はもう戦う力がない。疲れ果て打ちひしがれている。あなた

は恐怖に震えながら、人間的な鎧を脱ぎ、殺されるのを待っ

てそこに立ちつくしている。

 だが奇跡はそのとき起こるのだ。(中略)あなたはもう生

きようともがくことはしなくてよい、あなたは生自身をして

その生きるに委せる。(中略)あなたはいま幸福である。そ

して何ものもそれを奪い去ることができないと、あなたは知

っている。

               『スーパーマインド』から


 覚めている人はいついかなるときも守られている。その守

られ方は眠っている人の考えているような守られ方とは異な

る。それは完全無防備という守られ方である。

            『なぜあなた我慢するのか』から

                (共に、日本教文社刊)


 わたしたちが自分を守ろうとすることを完全にやめたと

き、わたしたちを脅かすものは一切無くなる。

 わたしたちが守ろうとしている自分というのは、セルフイ

メージのことであって、そこに実体は無い。守ろうとする意

識が、かえってセルフイメージを強固にし、それを脅かすも

のに対する恐れも強くしてしまう。その為、さらに自分を守

ろうとする意識が働く。けれども、守ることをやめたらどう

か? セルフイメージの周りに張り巡らせていた守りの壁を取

り除いたらどうなるか? 

 人は、そこに何も無いことを知る。

 何も無いのだから、壊されたり、奪われたりする心配は無

い。完全な安らぎがあり、この安らぎを脅かすものは存在し

ない。そういう意味で完全に守られている。


 その守られ方は、単に他者の圧迫や攻撃からだけではな

い。セルフイメージが脅かされることへの不安も自分を苦し

めるのだから、自分自身が生むネガティブ感情からも守られ

ることになる。


 昔こんな話を聞いたことがある。

 エレベーターの点検の為にエレベーターの箱の上に作業員

がいたのだが、何かの不手際でエレベーターが動き始めた。

エレベーターは上昇し続け、最上階の天井が迫って来た。潰

されてしまうと思った作業員は天井に手を付き、なんとか全

身の力で空間を保とうとしたのだが、結局首の骨が折れて死

んでしまった・・・。事故後の調査で、エレベーターと天井

の間には横になれるだけの十分な隙間があり、作業員が伏せ

ていれば、ケガもせずに済む状況だったそうだ。

 この話は実話と聞いたが、もしかしたら作り話かもしれな

い。けれど、この話は人が自分を守ろうとしてかえって自分

を失うことを、象徴的に表しているだろう。


 わたしたちを取り巻く世界も、人も、わたしたちが思うよ

うに制御できるわけではない。それどころか、わたしたち自

身が世界の一部として世界に動かされている。それに抵抗す

ることは、かえってわたしたち自身を消耗させ、命のエネル

ギーを奪う。そもそもわたしたちが守ろうとするのは、セル

フイメージという架空のものであって、そんなものの為に命

のエネルギーを浪費するのは割が合わないだろう。


 生活をしていれば、強欲で無神経な人間や、冷酷なエゴイ

ストや、怯えて冷静さを失くした人間が、実際的な圧力なり

攻撃を仕掛けてくることもある。そういう時には、自分のセ

ルフイメージを守ろうと防御態勢をとったり、反撃したりす

るのではなくて、賢く身をかわせばいいのだ。

そのときに、守らないでいることは、わたしたちの賢明さが

表に出てくることを邪魔しないでいてくれるだろう。


 完全無防備。

 自分を守ることを完全にやめたとき。

 完全に明け渡したとき。

 幸福も不幸も無条件で放棄したとき。

 わたしたちを苦しめるものは、何も無い。



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