2017年5月19日金曜日

格差社会を生むもの




 「日本の社会に格差が拡がった」と言われだしてから何年


ぐらい経ったのでしょうか?

 私なんかは、元々「格差」の低い方に居る人間ですから、

取り立てて「格差が拡がった」という実感はありません。で

も、経済的に苦しい状況にある人達が増えているのは、本当

の様ですね。


 この様なことが起こるのは、人間社会の性質上、避けられ

ないことだと思うんです。

 わたしたちには、“比べる癖”がついています。

 癖がついているというより、「比べることを、叩き込まれ

ている」と言うべきでしょうか。

 生まれた時から、「健康そうか?」「身体の大きさは?」

「よその子より可愛いか?」「賢いか?」と親や周りの大人

達に評価され、ちょっと大きくなると「成績はどうだ?」

「運動会で一等を取れるか?」「脚は長いか?」「絵は上手

か?」と他人からも小突き回され、さらに大きくなると「い

い学校に入れるか?」「いい会社にはいれるか?」「金をた

くさん稼げるか?」「いい結婚相手を見つけられるか?」と

際限なく比べ続けられます。

 こうして、他人や過去の自分や理想の自分と比べられ続け

れば、比べることが習い性になって当たり前です。

 そして、“他人と比較して自分が上だと思える時にだけ、

自分を肯定できる”というパーソナリティが出来上がりま

す。


 《 しあわせとは、自分を肯定出来ること 》

と、以前書きましたが、わたしたちのほとんどが、他人と比

べて優れていると思うことでしか、自分をしあわせだと思え

ない様に出来ています。

 その様な人間たちが、数限りなく集まって、この社会を作

っているのですから、人々は常に他人と比較し合って生きて

います。そして、“より、しあわせを感じる”為には、「他人

より優れている度合が、大きければ大きい程良い」というこ

とになり、限りない上昇志向が生まれます。

 そうやって、アグレッシブで尚且つ能力のある人間が、社

会の中で上に行き、今の様な経済優先の世の中では、巨額の

資産をもつことになります。

 そして、あらゆる情報が入ってくる現代では、比較する対

象が無限です。

 過去の人達や地球の裏側の人達。さまざまなジャンルやレ

ベルの人達の情報が入ってきて、簡単には自分に安住するこ

とが出来なくなっています。その為に、上昇志向は限度を知

らぬものになり、能力の高い者はさらに富を増やすことに囚

われて、搾取することに対する感受性が消え去ります。

 その結果として、「格差」が拡がるだけでなく、世の中に

あふれる情報に侵され、「格差が拡がっている」という意識

も持ちやすくなっているのでしょう。



 けどですよ、ちょっと前まで「サラリーマンの生涯賃金は

二億円」と言われていましたから、今の日本では、六十歳ま

でに二億円稼げる人ならば、この国で(この、豊かな経済大

国で!)十分に満ち足りた暮らしが出来るわけなんです。そ

れなのに、実感出来ないような額の資産を持ちたがる人間が

いる。ああいうのって、病気でしょう? 「比較病」です

よ。

 ああいう連中に、自分の「比較病」を意識させて、搾取を

辞めさせればいいんでしょうが、実際的な方法はないでしょ

うねぇ。依存症の治療は難しいですものね。

 所得税と相続税の累進率を、恐ろしい程上げたりすればい

いんでしょうが、そうすると他所の国へ逃げるだけですし

ね。


 「働けど働けど、なお我が暮らし楽にならざり」と石川啄

木は言いましたが、貧困は今に始まった事ではないですね。

 その国の生産力と政治の在り方にもよるんでしょうが、世

の中が本質的に持っている性質ですね。「格差」がなけれ

ば、世の中は停滞するのでしょう。



 《 すべての物は、勾配によって動く。

   温度の勾配、圧力の勾配、重力の勾配・・・。

   人の世が動くのは、差別の勾配による。》
           

                 ・・・なんだかなぁ。


 しかし、世の中が停滞したってイイと思うんですけどね。

世界規模なら。  日本だけ停滞したら、すぐに食い潰され

ちゃうでしょうからね。「嫌な渡世だなぁ」(座頭市 談)



 どうにもなんないんだよね。

 『世の中(をまともにやってる奴ら)を、

      どれだけ嘲笑るか?』って話なんだろうねぇ。

 「ホント、ビョーキだね!」って。



 * 「比較病」というのは、浄土真宗の藤原正遠(しょう

おん)というお坊さんの言葉です。

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