2017年5月24日水曜日

「道徳」って、教育するものなの?

 「今のままでいいのかなぁ」

 「今のままだと、成長がないしなぁ」

 そんな風に考えるのが普通ですよね。それでいいんだと、

私も思うんですけど、「何を以て“成長”と呼ぶのか?」とい

う事は考えてみなければいけないでしょうね。
 

 “成長”って何でしょう?

 「能力が上がること」ということでいいんじゃないかと思

います。 

 では、能力にも色々ありますが、何の能力が上がればいい

んでしょうか? 

 おおざっぱに言えば、“頭の能力”と“身体の能力”になるわ

けですが、両方考え出すと膨大な事になってしまうの

で、“頭の能力”の方だけにしておきたいと思います。

(「アタマが悪い」というブログですから) 


 「頭の能力を上げる」というと、要するに「賢くなりた

い」ってことですけど、「賢いってどういうことか?」って

問題があります。まさか、「学校の成績が良い事」で済ませ

てしまってはいませんよね? それは、「賢い」とは言えな

い判断ですものね。


 東大を出たが為に苦労している人も結構いるでしょうし、

東大を出たのにもかかわらず、上手く生きられなくて困って

いる人もいるでしょう。学校の成績が良いことを「賢い」と

言うのには、違和感を持ちます。その能力を上手く使えて初

めて「賢い」と言うのでしょう。

 では、「賢い」とはどういうことか?

 《 自分と周りの幸福に資することが出来ること 》

 と私は定義しています。

 高学歴のテロリストとかが、よく居るでしょ? あれって

「バカだ」と思うでしょ? テロやって、自分の幸福には資

しているんでしょうが、それの数層倍、世の中に不幸を生み

出しているわけですから。

 経済の世界でも、頭のいい奴が物凄く儲けたりしているで

しょ? 競争社会だなんて言って、能力があるからといっ

て、やりたい放題していいんですか? 競争なんか関係な

く、その社会で必要とされる仕事を真面目にやってきた人

が、有無を言わさず潰される。ほんとに能力があるのなら、

他人も喜ぶ様に考えられるんじゃない? それが、出来ない

のなら「賢い人」とはいえません。「アタマが悪い」ただの

エゴイストです。


 ですから、“成長”を考えるなら、「自分と周りの幸福に資

する」ことでなければなりません。

 その為、「どの能力を伸ばすか?」以前に、「どの方向へ

向かうか?」をよく吟味しなければなりません。


 「人を思い通りに操って、大金持ちになるぞ!」と考え

て、ディベート術や心理学を学ばれては堪ったもんではあり

ません。


 「なんでひとの幸福まで考えなきゃいけないんだ。自分が

幸せだったらそれでいいじゃないか」


 という人間はどこにでもいます。そういう人間は、そもそ

もこんなブログなんか観ません。そういう連中はお互いに戦

っていればいい。折伏なんか出来ないし、そんな暇も義理も

無い。わたしたちは、そういう人間に引き込まれて利用され

ない「賢さ」を身に付けて、自分たちだけで、勝手に幸福に

なればいい。(サイコパスなんて、どうしようもないん

ですから)

 むしろ、そうすることだけが、利己的な人間の力を削ぐ方

法です。

 エゴイストは人を利用しなければ、自分の欲望を達成する

ことが出来ません。人がひとりで出来ることは、人ひとり分

でしかありませんし、エゴイストの望みは、自分の外にある

のですから。(エゴイストは人を利用すること自体が、面白

いのです)

 
 わたしたちは、“自分の今”に喜びをもたらせる様な「賢

さ」を持ちましょう。その為に科学が必要なら、科学を学べ

ばいい。哲学が必要なら、哲学を学べばいい。宗教が必要な

ら、宗教を学べばいい。ただ、方向が間違っていてはどうに

もならない。ネオンサインや広告に誘われて道を逸れてはい

けません。   「ストイック」という誘惑だってありま

す。


 《 人を利用する人間と、

     人を攻撃する人間には、成ってはならない 》
   

 それが、教育の基本だと思いますね。

 日本は、「アタマの良さ」を目指して来て、へんな具合に

って来たので「“道徳”を教科にする」なんて、また変な事

始めてますけどね。

 そんな事するより、「人を利用しない」「人を攻撃しな

い」という前提で、教師や親たち、周りの大人が子供に接し

ている方がいいと思いますけどね。

 「賢さ」って、教えるものではなくて、形作られるものな

んじゃないでしょうか?



 “ 彩色されてゆくことだけで

   それを 成長と呼ぶのなら
  
   ぼくは 彩りを 拒むことにしよう ”

            「思い込み Ⅱ」 小椋 桂

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