2018年4月7日土曜日

「エホバの証人」さんたち


 今日、家の前で花の手入れをしていると、二人の女性が話

しかけて来た。〈エホバの証人〉の信者である。

 私は、こういった人を無下にはしない。当人たちは至って

真面目だし、特に害も無いので、一応相手をしてあげる。

 「すこし、お話をさせてもらえますか?」と言うので、

「すこしなら、いいですよ」と聞いてあげる。


 彼女ら〈エホバの証人〉の考えは、「神の教えに従って、

正しい行いをすれば、世の中が良くなる」という事と、「神

の教えを忠実に守れば天国に行ける」という事だと思ってい

いのだろう。で、今日は「人間の間違った行いによって、環

境破壊などが起きている・・・」などといった話を投げかけ

て来た。


 適当に私なりの返答をして、機嫌良くお引取り頂いたのだ

けど、「正しい行いをしたら環境破壊が防げる・・・」なん

て事を、私が思うはずもない。

 たとえ、全人類が “物質的豊かさ” と “行動すること” に

価値を置くことを止めたとしても、これだけ人口が膨れ上が

ってしまえば、もはや深刻な環境破壊は避けられないんじゃ

ないか? 

 もちろんペースダウンさせたりする事は出来るだろうけれ

ど、環境保護を強く推し進めれば、生産力の低い土地に暮ら

す者は、相当なダメージを受ける事になるだろう。


 日本では杉を植え過ぎて、花粉症の問題を引き起こしたり

して来たけれど、今の日本の森林面積は、先進国では考えら

れない程広い。国土の60%以上が森林だという。

 だから「日本は自然を大切にする “心” と “智恵” を育ん

できたのだ」などと考えている日本人も多いだろうが、とん

でもない話である。

 今の日本に森が多いのは、そもそも急峻な山地が多くて開

発し難い事と、明治以降石炭・石油を燃料と資材にする事が

出来る様になったので、森に手を付けなくて済む様になった

からに過ぎない。江戸時代までには、人口密集地の周辺や、

街道沿いの土地などはハゲ山になっていて、危機的な状況を

迎えていたのだ。

 たまたま、人類が石炭・石油を使う事を覚えたのとタイミ

ングが合ったので、その余裕で森を復活させることが出来た

だけである。


 環境破壊とは、石炭・石油に由来する「ゴミ問題」  

CO2・プラスティック・化学物質など  と、石炭・石油

のパワーを使った環境の攪乱である。(原子力でさえ、石油

が無ければ利用できないだろう)

 環境破壊を防ぐためには、石炭・石油の使用を辞めねばな

らない。するとどうなるか?

 森が無くなる。土地が痩せる。海が痩せる・・・。
 

 人の暮らしを守るか? 環境を守るか?


 件の女性たちに対して、そんな込み入った話はしなかった

けれど、「世界を創ったのは、人ではなく、神でしょ?人が

滅びるにしても、生きて行けるにしても、そんなことは神様

にまかせていれば、それでいいんじゃないですか? 神様が

決めるのだから、それに間違いはないはずでしょう。人間は

その〈さだめ〉を受け止めて、“幸福” だと感じていればい

いのだと思いますよ」などとお答えした。


 環境破壊で人間が自らの首を絞めない為や、人間が幸福に

生きて行く為にはどうしたらいいか?

 もう遅い気がしているけれど、三十年以上前から私はこう

思っている。


 「みんなで貧乏しない?」


 (一時、“清貧の思想” なんていうのが流行ったけどね)


 それでどうにかなるかと言えば、やはりどうにもならない

だろう。先に書いた様に、人口が増えすぎている。
 

 人類が、全体的に大きな試練を迎える事は避けられないよ

うに思う。けれど、現在の豊かさは(今も豊かでない人々が

大勢いるけれど)、人類レベルで内面的豊かさを共有する為

の、ステップに成り得るとは言えるだろう。

 王子として生まれたゴータマ・シッダールタが、豊かさを

知り尽くした後に、無常を感じ、やがて悟りを得て〈ブッ

ダ〉となった様に、今の人類の豊かさは人を次のステージへ

進ませるかも知れない・・・。
  

 「みんなで貧乏しない?」


 「みんなで退屈を楽しまない?」
 

 早ければ早いほどいい。

 そうすれば、人類が受ける試練の深刻さはマシになる。
 

 それが「神の御心」ならば、「仏のご縁」ならば、人をし

て、そうするだろう。

 人が滅びようが、生き延びようが、不幸になろうが、幸福

になろうが、何にしても “人の都合” の中での、右往左往で

しかないことには変わりは無い。


 「あなたは、〈神〉さまを信じてらっしゃいますか?」


 「〈神〉を信じる」だなんて、そんな不遜な!

 〈神〉は信じるものではない。

 〈神〉は・・・、〈神〉には “降参” するしかない。

 いや “降参” させられれば、そんな有り難いことはない。


 と、あの女性たちにこれを読ませたいところだけれ

ど・・・。





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