2018年4月8日日曜日

『ミダースの手』


 《 昨日は前世と思え 明日は来世と思え 》



 “今に在る” ことを意識するには、そんなキーワードが有

効かもしれません。
 

 生まれてから現在まで、わたしたちはそれをひとつの人生

として捉えますし、現在から死ぬ時までそれが続くと考えま

す。しかし、“これまで” も “これから” も、わたしたちの思

考の中のものであって、現実には存在していません。それを

「前世」や「来世」と言っても、不都合は無いでしょう。む

しろ、そんな風に捉える方が、過去や将来の呪縛から逃れら

れて、自由になれます。


 社会で生活する上では、“これまでの事” と “これからの

事” に配慮することは必要ですが、それは「続き」としてで

はなく、今に対処するための「情報」として必要なだけで

す。

 過去は “行きがかり・しがらみ” としてではなく、将来へ

向けては “計算・願望” などとしてではなく、「過去」と

「将来」は、「今」を充実させるための参考資料として使わ

れるべきものです。



 「今の充実」とは何か?

 それは何も、「今、素晴しい仕事をする」などといった事

を指しません。単に「今を充分に意識している」こと、過去

への後悔や恨み、将来への不安や疑いにとらわれずに「今に

関わること」です。「今すべきことをする」。



 近所の桜の花もほとんど散り、葉桜になりました。

 桜が咲く前に「桜の花はいつ咲くのだろうか・・」と思

い、花が終れば「ああ、桜の花が終ってしまったな・・」と

思うのではなく、桜の花が咲いたら「桜が咲いたな」と思

い、花が終ったら「桜の花が終わったな」と思う。

 その時々の桜を愛でる。

 「今を充実させる」とは、「今、在るものを愛でる」こと

でしょう。愛でれば、“めでたい” のですから・・・。
 

 葉桜を愛でる人はあまりいません。それは葉桜が美しくな

いからでしょうか?

 いいえ。「葉桜を美しい」と思う能力を、育んでいないだ

けのことでしょう。



 確かに、木を覆い尽くして咲くソメイヨシノの花は、有無

を言わせず本能的に人を引き付ける力が有ります。それは一

種、麻薬的な刺激です。ある意味、人を狂わせます。そうい

った「高揚させる」種類の美しさではなく、人の心を「静か

さへ誘う」美しさが、葉桜にはあります。というか、葉桜を

「美しい」と思える能力は、あらゆるところに「美しさ」を

見い出せます。『ミダースの手』です。(“ミダース” は、

ギリシャ神話に登場する王。触ったあらゆる物を黄金に変え

る能力を持つ)


 『愛でる力』と言ってもいいでしょう。

 世の中の、慣習や価値感に囚われない、自由なセンスで

「今在るもの」に触れてゆく。

 常に「存在の絶対性」に目を向ければ、あらゆるものが愛

おしく見えてしまう・・・。それが『愛でる力』、『ミダー

スの手』。


 わたしたちの感性には、あまりにもきつく “社会の枠” が

嵌められています。

 桜の葉の緑、葉の形、枝の付き方、木肌の色・質感、樹

形、あらゆるものが自然の不思議です。もちろん花も・・。

 そこには、改めて目を凝らすと、驚嘆すべき “造化の妙”

が有ります。(レイチェル・カーソンの『センス オブ ワン

ダー』という本がありましたね)


 すこし話がそれかけましたが、「今ここに在る」ものに目

を向け、それを尊重することは、人を落ち着かせ、喜びへ誘

います。

 「今、ここに、生きている」

 「今、ここ」にこそ、美しいものが溢れている。


 わたしたちには、本当は『ミダースの手』が与えられてい

る・・・。アタマが邪魔しているけれどね。



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