2020年9月11日金曜日

『安心安全原理主義』が蔓延する



 この前のブログで「うるせー、バカ」と書いた。わたしは

そもそも育ちが悪いので、それぐらいのことは日常的に思

う。けれども、このブログの中では、これまでそういう言葉

を使ったことは無い。イヤミや皮肉はしょっちゅうだけど。

 なのになぜ、前回そういう言葉を使ったのだろうか? なに

がそれほど不愉快なのだろうか?

 それを考えていると、昔のCMを思い出した。


 もうずいぶん昔のCMだ。西田敏行の出ていた住居用洗剤

のCMだったと思う。

 西田敏行がリビングでテレビを見て笑っていると、となり

の部屋から妻が催促する。

 「あなた、○○の掃除はしてくれたの!」

 その言葉に西田がむくれながらこう言う。

 「いま、やろうと思ってたのに言うんだものなあ~😞」


 誰にでも憶えがあるだろう。

 本当に真剣に思っていたわけではなくとも、心のどこかに

留め置いていることを、先回りして他人から催促されると、

なんだか、“ものを考えていないバカ” のように扱われた気が

してハラが立ってしまうのだ。


 「命を守る行動をとって下さい」などと、たかがテレビに

言われると、私はそれに似た不快感を覚えてしまうようだ。

「そんなこと、言われなくてもわかってる。おまえは何様の

つもりだ」という具合で。


 だれの言葉かは忘れたけど、こんな言葉がある。

 《場違いの善行は悪行である》

 場違いのこともあれば、タイミングの違いもあるだろう

が、「命を守る行動をとって下さい!」という言葉の裏に

は、「命より大切なものがあるか? こう言うことに何の問題

がある?」というような傲慢さなり思考停止なりが窺がえる

(それはアンタの被害妄想だよと言われるだろうなぁ)。そ

して、私の中のどこかにある “受けて側の放送コード” に引っ

かかるのだ。「こういう言葉はテレビが使うものではない」

と。


 台風が来ると、「海へは絶対に近付かないで下さい」とか

テレビが言う。それを聞くと、なにやらムカムカとハラが立

ってしまう。「うるせーなぁ・・・」。


 レイチェル カーソンの『センス オブ ワンダー』の中に、

子供と嵐の海を見に行く話がある(あったと思う)が、カー

ソンはその時のことを「素晴らしい体験だった」と綴る。

 人智を遥かに越える自然の力とその姿を目の当たりにし

て、畏怖と共に、生きている実感とでもいうようなことを感

じたのだと思われる。「嵐の海ぐらい見に行かせろよ」と私

は思う。どこまでなら大丈夫かは、こちらが考える。

 「安心安全」が何より大事なら、富士山や日本アルプスに

登ったりするのは危険この上ないので、止めるように呼びか

けたらどうか?


 「登山と災害は違う」?


 確かに、災害とレクリエーションを一緒にするのは間違い

かもしれない。けれど、「安心安全」という “価値観のひと

つ” に人を押し込めておこうとすることは、嵐の海に感動す

るような、人としての大きな喜びを剥ぎ取ることではない

か?


 「『安心安全』と言っておけば文句はないだろう」という

思考停止と傲慢さの裏で、かけがえのない人の喜びと安ら

ぎ、“生きていることそのもの” の感動なんかが失われてい

る。私はそう感じる。私はね。私だけでもないはずだけど

ね。




 

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