2020年9月16日水曜日

「ニート最強」。

 

 何日か前、前から歩いて来た二十歳ぐらいの女の子のTシャ

ツに、「ニート最強」と書いてあった。

 何が「最強」なのか知らないけれど、私は “ニンマリ” と笑

った。常識的な価値観に挑戦することは、そのことだけでも

価値がある。そこから、それまでとは違う世界が顔をのぞか

せるからね。


 で、せっかくだからニートが「最強」かどうか考えてみ

る。


 答え。「最強」ではない。


 ニートがニートとしてあることで価値が生まれるとした

ら、それは「強い」「弱い」という比較から、“外れてみせ

る” ことによる。

 「『強い・弱い』から外れたところにも、さしあたり人生

は可能だ」と。


 たとえ、「そんな人生いつまでも続けられね~じゃね~

か」などと言われたとしても、ひるんではいけない。「あん

たの人生だって、想定通り行くかどうか分かったもんじゃな

いし、いつまで続くかも分かんないだろ」ぐらいは言ってみ

よう。


 「強い」も「弱い」も「良い」も「悪い」も、ある価値基

準が前提になければ成り立たない。そこから外れれば、「強

い」からも「弱い」からも「良い」からも「悪い」からも影

響を受けることは無い。ニートにはその可能性が高い。うま

くニートをやれば、「最強」ではなく、「無敵」になれるだ

ろう。


 「無敵」という言葉は、一般的には「最強」と同じように

使われるけれど、字面からそのまま解釈すれば、「敵が無

い」ということだから、「強い」ということとは違う。


 近年、日本では鹿が増えて農業被害などを出しているけれ

ど、あれはニホンオオカミがいなくなったことに端を発して

いるのだろう。鹿が「無敵」になったのだ。

 仮に日本がまたユーラシア大陸と地続きになれば、虎など

の肉食獣と対峙することになって、「無敵」ではなくなって

しまう。現在の鹿の「無敵」は日本が島であるということで

成立している。(人間という敵は、今のところおとなしい)


 それと同じように、ニートは家庭という島の中にいる限り

「無敵」でいられる(家族が敵になってるかもしれないけど

ね)。だからこう言いかえるべきだろう。


 「ニート無敵」
 

 「それって、ただ安全地帯に逃げ込んでるだけでしょう」

 そう思われるかもしれないが・・、その通りです。社会と

いう危険な場所へ出ないようにして身を守っているんです

ね。だからこう言うべきなのでしょう。


 「ニート無敵。そして最弱」


 あらら、ニートが「最弱」になってしまいましたね。


 こういう展開になると、私がニートをバカにしてからかっ

ているように思うかもしれませんが、決してそうではありま

せん。もう少しすれば真相があきらかになると思うので、辛

抱してください。


 ニートは社会の中では「最弱」なのです。だから、社会に

出られない。でもそれは、“社会の価値観” の中で「最弱」で

あるだけのことです。

 “価値観” というものは、ひとつではない。ひとつではない

というよりも、無数にある。その無数の価値観の中のほんの

ひとつかふたつの価値観を、社会が個人に押し付けてくるの

で、その価値観においては「最弱」の存在である人は、社会

からの価値観の圧力に抗えずに、外に押し出されてしまう。

それがニートになる(引きこもりもね。そう、自殺もね)。

 けれど、先に書いたようにそれは “社会の価値観” の中での

「最弱」なので、ちがう場所、局面ではまったく違う可能性

がある。

 「ニートそこそこ」かもしれないし、「ニートなかなか」

かもしれない。社会から離れてしまって、価値基準の違うと

ころに立てば、それこそ「最強」にもなれるだろう。


 などと言うと、「自分の力を発揮できる場所を見つけまし

ょう」みたいな話になってしまうのだけど、それでは芸がな

いね。やっぱり、私的には「ニート無敵」の線で行きたい。


 「“価値観” というものは無数にある」

 なぜ無数にあるかというと、絶対的な価値というものが存

在しないから。

 絶対的な価値が存在しないからこそ、それぞれが、よすが

としてそれぞれの事情に合わせて価値を設定するので、無数

の “価値観” が世の中に生み出されることになる。そういった

事情だから、それぞれの “価値観” はそれぞれの中で完結させ

ておかなければならない。それを他人に認めさせようとか、

押し付けようとかすることから、敵対関係が生まれてしま

い、世の中がゴタゴタする。

 自分の “価値観” に自分で満足し、他人の承認とか理解を必

要としなければ、それは「無敵」ということだろう。


 ニートであっても、社会との関係が悪いことに対して問題

意識が無いのなら、そのニートは「無敵」だといえる。た

だ、残念ながら、そのようなニートはほとんど存在しては居

ないだろうと思う。なぜなら、「社会との関係が悪いことに

対して問題意識が無い」のなら、社会に出て行くことは苦に

ならないはずだから。

 そのような人は平気でニートもできるし、平気で社会の中

にも入ることができる。ニートでいるしかないということは

ないので、ちょっとしたキッカケがあれば、すんなりと社会

に入り込むだろう。

 ニートでいようと、社会にいようと、大した違いは無いと

いう人は「無敵」だ。周りのどんな “価値観” も、彼を揺るが

さない。


 ニートは、社会の “価値観” によって社会から押し出されて

せっかくニートになったんだから、“社会の価値観” の外で、

“価値観” というものの「無価値性」をしっかりとハートに刻

み込んで「無敵」になって欲しいものだ。

 ニートは「最弱」だが、それゆえに、とてもとても「無

敵」に近いところにいるのだ。



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