2020年9月27日日曜日

今日、自殺した人は何人だろうか?



  前回、今年八月の自殺者数を知ったことからブログを書い

たけど、昨日、女優の竹内結子さんが自殺したらしいという

ことを知って、また自殺について書こうとしている。

 彼女のニュースを見ると、それに関連して『いのちの電

話』などの情報が添えられている。この前の三浦春馬くんの

件でもそうだったが、有名人の自殺に刺激されて、自らも命

を絶つ人が出てくることを心配してのことだ。それはそれで

良いことだと思うし、ある程度の実効性も有ると思う。その

ような、自殺を防ぐ手立てを尽くすことは、すべきことだと

思う。けれど、どれだけ手を尽くしても、自殺を無くすこと

はできないだろう。自殺は、人の死因としてはポピュラーな

もののひとつだから、無くすことは無理だ。ただ、現代の日

本の自殺者は多すぎるのではないか? 世の中の価値観が大き

く変われば半分ぐらいには減るものだろうと思うが、現在の

自殺率を半分程度にすることができれば上出来なんだろうと

いう気がする。


 現代人を自殺へと追いやる理由の最大のものは、「理想」

とか「成功」という観念の “縛り” だろう。


 「理想」を持つということは、「現状」を否定すること

だ。

 その「理想」を実現するということが「成功」であって、

「理想」を持ち「現状」を否定した限りは、人は「成功」し

なければならない。もし「成功」しなければ、「現状否定」

がいつまでも続くことになる。「現状否定」、つまり「現状

の自分」を否定し続けることになる。そのようなことが長く

続けば、人は耐えられないだろう。そして、「否定された自

分と自分の世界」を否定するための手段として、自殺する。

「否定された自分と自分の世界」から解放される為に・・。


 多くの人は、「理想」から外れた自分から意識をそらすた

めに何かに依存する。

 アルコール、薬物、食べること、ギャンブル、ゲーム、S

EX、我が子、仕事、なんらかの思想、宗教・・・、その他

もろもろ・・・。それらは「緩慢な自殺」ではないだろう

か? あるいは「生きながら死んでいる」のではないだろう

か?



 人間の本来性からすれば根拠などない基準をいつのまにか

刷り込まれ、それに則した「理想」で知らず知らずのうちに

自分をがんじがらめにして、「生きる」ということの許容範

囲がとても狭くなってしまっている・・・。

 自殺する人は日本では年間2~3万人だが、何かに依存す

ることでなんとか生きている人は、日本人の9割以上ではな

いのだろうかという気がする(ほとんどの国でそうだろう

とは思うけどね)。その中で、自分をごまかしきれない人が

殺するのだろう。


 この世の中が、何かに依存して現実をやり過ごさなければ

ならないとか、自ら命を絶たなければならないというような

人を多く生み出す(というか、ほとんどの人がそうなんだろ

うと思うけど)のは、わたしたちの意識が、「理想」と「成

功」などという “まやかし” に汚染されてしまっているからだ

ろう。


 「人ではない “何か” 」が、人を “人ではない「何か」” に

変えようとして、人の本来の在り方を否定して、不安にし、

惑わせ、狂わせ、追い詰める・・・。


 今日、自殺した人は何人だろうか?


 人は「何か」にならなくてもいいのだが・・・。

 「何か」に追い詰められてしまっている人を思う。

  相変わらず「何か」に追われている自分自身を戒めなが

ら・・・。


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 書き終えてしばらくして、「自分は竹内さんの自殺を、単

にブログを書くためのネタにしたのではなかろうか」という

思いが湧いてきた。

 どうも、今回はそういう気分が少し入っていたような気が

するのだ。


 わたしたちは、そういう自己欺瞞が得意だ。

 思いやりを表してるように装いながら、その実、他人の苦

しみを自らの自己肯定のネタにする。「自分はこんなに思い

やりがあり、人の苦しみ悲しみを理解するものの分かった人

間なのだ」と。

 そういった無神経さとズルさが知らず知らずのうちに他人

を追い詰め、気付かぬうちに自己嫌悪というかたちで自分自

身も追い詰める。


 わたしたちは、自分自身の「不完全さ」「弱さ」「悪さ」

などを意識していなくてはならないのだろう。克服すべきこ

ととしてではなく、当然のこととして受け入れて・・・。

 他人も自分自身も追い詰めないために。


 しかし、いつもながら自殺した人に掛ける言葉など無い。

 ただ、黙って、少しばかりの悲しさや怖れを感じてみるば

かり・・・。ほんの少しは、それを分け持てるだろうか。同

じ「命」として・・・。





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