2021年8月1日日曜日

『センス・オブ・ワンダー』との再会



 先日、必要に迫られて二日かけて部屋の模様替えをした。

不要になる家具を一つ解体し、新たにベッドを一つ作り、一

階の家具をふたつ二階に上げ、それに伴って大量の本・レコ

ード・CD・さまざまな小物などを移動させ、テレビのアンテ

ナケーブルやいろいろな物を設置し直し、二百冊以上は有っ

た「ナショナルジオグラフィック」と百冊ほどの本を廃品回

収に出し、結構な量のゴミを捨てた・・・。疲れた、疲れ果

てた・・・。


 疲れ果てたのだが、その最中思わぬ発見が有った。一度読

んでそれっきりしまい込んでいた本の山の中から、レイチェ

ルカーソンの『センス・オブ・ワンダー』が出て来たのだ。

 なぜこの本がそんなところに紛れ込んでいたのかはわから

ない。この本についての記憶はとても曖昧になっていて(も

ちろん歳のせいである)、誰かに貸してそれっきりになって

いるか、阪神大震災の時に埋まって失ってしまったかと思っ

ていたものだから、とても驚いた。

 嬉しかったのだが、模様替えの最中であり、それが終わっ

た時にはほんとうに疲れ果てていたので、日を置いてから読

もうと思ったのだった。



 そして一週間が経った。

 たぶん、十数年ぶりに『センス・オブ・ワンダー』を読

む。

 そう、この感じだ。この感じだった。この本を読むと生ま

れてくる感じをあらためて確認する。

 カーソンの持った、ワクワク・驚き・喜び・感動・畏敬・

安らぎ・にシンクロする。

 しっとりとした森の空気や匂いや風の流れを感じる。鳥の

声まで聞こえるような気がする。良い本というものはこうい

うものだ。

 こういう本が書けるのは、文章力と言うような技量の問題

ではないだろう。自分の中に生まれた、心の中にしまいきれ

ない思いを、何とか人に伝えたいという熱意の量と、その真

っ当さによるものだと思うのだ。


 そういう熱意・熱量というものは、例えば、何かのオタク

がその面白さを伝えたいというような事でも生まれるだろ

う。それにシンクロする人も大勢いることだろう。ただ、そ

れが「畏敬」という感覚にまで及ぶことは、まず無いのでは

なかろうか。


 ワクワク・驚き・喜び・楽しさ・感動・そういったことを

誰かと共有できることはイイことだ。そういうことが沢山あ

る世の中の方が良い。けれど、そこからさらに深く、人の心

の一番深いところにふれるような本、あるいは “語り” にふれ

る機会を、人は持つべきだろう。

 この『センス・オブ・ワンダー』や、まどみちおさんの詩

のような、命の不思議に人を誘い込むようなものに・・・。


 「在る、在る、在る・・・。世界が在る。自分が在

る・・・。なんという不思議・・・」

 「美しいものが在る。目をそむけたいものが在る。ひれ伏

したい想いにさせるものが在る・・・」

 懸命に生きようとすれば、“本当” を生きようとすれば、感

じるものが在る。

 深い深いところに在る、誰もが知っていながら見過ごして

しまうものが在る。


 その、最初で最後の、たったひとつだけの “本当” にふれる

為の道として、真っ当な心から生まれた、一つの本や、一つ

の “語り” に出会う幸運が、誰もに訪れて欲しいと私は願って

いる。


 


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