2022年2月6日日曜日

なりたい自分になろうとする人たち



 アマゾンで「何か面白い本はないかな」と探していたら、

タイトルにの中に「なりたい自分になる・・・」などと書か

れている本があった。

 この頃結構耳にしたりする言葉ですね。「なりたい自分に

なる」って。私は「プッ」て笑ってしまうんですけど。


 昔、岸田秀さんの本を読んでいて「自分の性格を変えたい

という人がいるけど、“自分の性格を変えたい” という性格は

変えたくないんですかね」という一文があったけど、「なり

たい自分になる」なんて聞くと、それを思い出す。「なりた

い自分」ではない「今の自分」は、何なんですか? 自分に失

礼ですよね。

 みんな誰でも自分が一番大事で、他人のことは二の次なの

に、せめて自分が自分を認めてあげなくてどうするんです

か? などと思う。


 「なりたい自分」って、本当に自分が望んでる自分なんで

しょうか? 

 その望みは、自分の本質から出て来ているものなのでしょ

うか?

 私にはちょっと信じられないなぁ。

 他人との比較の中で、“社会的な価値を持つ自分” というも

のを外付けしようとしているだけなのでは?


 「今の自分」は、“今、そうなっている自分” ですが、「な

りたい自分」より「そうなっている自分」を大切にした方

が、人生は “ふくよか” なものになる気がする。一方、「なり

たい自分になりたい」なんていうのは、“欲深か” な気がす

る。

 ダメだとまでは言わないけど、迂闊にその線で進めて行く

と、自分の本質からどんどん離れて、命が宙に浮いてしまい

そうに思う。「なりたい自分」は「自分」か?


 私はアウトドア派なので昔はよく焚火をしたけど、焚火っ

て、紙屑とかの焚きつけに火を点けて、その上に適切に薪を

載せていれば自然と燃えていって、イイ焚火になるんですよ

ね。「なりたい自分になる」って、薪の上に着火剤を付けて

バーナーであぶって強引に火を点けるような感じがする。下

の方に燃えさしが残るような気がする。自然の摂理を無視し

て、何か取り違えてるんじゃないのかって・・・。


 「なりたい自分」って、社会から刷り込まれたイメージに

多分に依っているのだろうと思う。なぜなら、本当に自分が

望んでることは、「なりたい」とか「やりたい」とか思う前

にもうやってしまっているものだと思うから。オタクみたい

にね。

 止むにやまれずやってしまう。止むにやまれずなってしま

う自分が、まだ本当の自分に近いように思うんですよ。

 社会でひとかどのことを成した人って、良い悪いは別にし

て、「そうしてしまった」「そうなってしまった」人だと思

うんですよね。その人の努力とか手柄ではなくて、自ずとそ

うなった。「そういう自分」になったんだと思う。


 この前、ビッグボス新庄が言ってた。

 「努力したことはない。そうなりたいと思ったことに必要

な事を、自然にしてきただけ」

 やっぱりな。そうだと思ってた。


 新庄は「ああいう」人間で、「ああいう必然」の人だけ

ど、普通の人が普通になんでもない人のままでいる必然とい

う方が多数派なんですよ。普通にも達しないという必然の人

も結構いるんですよ。「そういう自分」が「そういう必然」

なんだから、世の中の基準を持ち込む前に、「そういう自

分」に敬意を払うべきだと思うんですよね。その敬意と自分

を愛おしむ気持ちが、自分を「思いがけなく愛せる自分」に

導いて行く元になると思うんですよね。どのように「思いが

けない」かは、それぞれですけど・・・。なにせ「思いがけ

ない」んですからね。


 「“思いがけなく愛せる自分” になりたい」


 そういう発想って、ちょっと素敵じゃない?



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