2022年4月17日日曜日

満月と薄雲と羊文学



 昨夜、「寝よう」と思って枕もとのスタンドを消したら、

窓の外がやけに明るい。

 街灯の光のような感じはないので外を見てみると、ちょう

ど0時頃なので、天頂に満月が煌々と輝いている。さらに薄

雲がかかって、障子に陽がさしているように乱反射し、面発

光のような効果を生みだしていた。


 面発光というのは、光が広い面で乱反射して回り込み、強

い影を消してしまうことで全体的に明るく感じる現象のこと

を言う。

 薄雲のせいで光と影のコントラストが弱まり、 満月の直射

があれば暗くて見えない部分も見える。その分、明るい部分

のディテールはややぼやけるものの、全体的にはよく見える

ようになっていて、とても明るく見える。満月の夜は明るい

ものだが、こういう明るさは記憶に無い。なんだか不思議な

ものを見ている気になった。そして思う。光が強すぎると、

影の部分は見えない。弱い光がまんべんなく広がる方が、物

事の全体像が見える。

 わたしたちの物の見方も同じだろう。ある視点からの見方

が強くなるほど、裏側の部分はより見えなくなり、物の見え

方は一面的になる。そして、全体を見失い、愚かさは度合い

を増す。


 三週間ほど前に、“羊文学” というバンドを知って、結構ハ

マっている。

 まだ二十代前半の女二人、男一人のスリーピースバンドだ

が、いい音楽を演っている。ユニークだけど、キャッチーな

曲作りのツボを心得ていて、聴いていて気分がいいし、ハー

トに来る。で、なぜここで “羊文学” が出てくるのかという

と、彼らの曲に “あいまいでいいよ” という曲があるからだ。


 曲のサビの部分で「あいまいでいいよ・・ 本当のことは 

後回し」と歌われるのだけれど、それは、世の中や人間関係

に本当のことは無いということを彼らが感じているからでは

ないのだろうか?

 昨夜の満月の光のように、あいまいにしていることで、か

えって全体像がなんとなく見えて、穏やかさと落ち着きが訪

れるのだと・・。


 人や世の中に本当のことを求めたところで、それを知りつ

くすことはできないし、それにこだわることでかえってギク

シャクする。仮に本当のことを知ったところで、それが何な

のか? そんなことは後回しで、気分良く、仲良く過ごせばそ

れでいいんじゃないか?

 「あいまいでいいよ」という歌声は、《 正しいことがある

とすれば、仲良くすることだろう 》という私のハートには、

そうに響く。


 本当のことなどあるのだろうか?

 無いだろうね。


 何が本当で、何が偽りで、何が正しくて、何が誤り

で・・・、そんなことはわたしたちのアタマが自分の都合で

決めているに過ぎない。

 前に書いたことがあるけれど、「1+1=2」というの

も、“「1+1=2」ということにする” という約束の上での話

だ。その「約束」にがんじがらめになって、押しつぶされそ

うで、苦しんだり傷付け合ったりしているのが人間というも

のなのだから、本当のことや正しいことはあいまいにしてい

る方が賢明だ。


 「本当のことは 後回し」
 

 じゃぁ何を先にするか?

 「本当の “本当のこと”」だろう。

 それは何か?

 わたしたちは「気分のイイことがイイ」ということ。
 

 本当のことも、正しいことも後回し。いや、それは所詮、

お話し。

 しあわせになるのに理由はいらない。

 気分良くなるのに理由はいらない。

 いま気分良くすればいい。

 いましあわせになればいい。


 世の中のこと、アタマのお話しは、後回し。

 もしもみんながそうすれば、後回しどころか、世の中のこ

とは生きることの雑事になる。


 薄雲を透る月明かりのように、あいまいの方がイイ。
  
 「本当のことは後回し・・・」

 この世が終わってからでもイイんじゃないだろうか。

 いや、その時はじめて分かるのでは?



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