2022年4月7日木曜日

混沌の時代



 「混沌の時代」などという言葉を時々耳にする。確かに、

いま世の中は色々と混沌としているとは思う。

 物があふれ、人があふれ、情報があふれ、考えがあふれ、

誰もなかなかひと所に落ち着いていられない。面倒な話や、

ろくでもない話が毎日運ばれてきて、誰もが不安を掻き立て

られる。

 「ああ、嫌だ・・・」。誰もがそんな思いを持っているの

だろう・・・、けれど・・・、ほんとうの混沌は良いことか

もしれない。


 『荘子』の逸話の中でも有名な「混沌王」の話というのが

ありますね。(『荘子』の中では、“混沌” ではなく “渾沌” 

と書かれています)

 北の帝と南の帝が会う時に、中央の帝の混沌王に世話にな

った。北の帝と南の帝は、混沌王にお礼をしようと考えた。

混沌王はのっぺらぼうなので、人間のように二つの目、二つ

の耳、二つの鼻の孔、一つの口を付けてあげようと思い、一

日に一つずつ孔をあけてやったところ、七つ目の孔をあけた

ところで混沌王は死んでしまった。

 これは、認識ができるようになり、分別ができるようにな

ると「命」は消えてしまうということの寓意のようです。


 真実が見えない。大切なことが分からない。何が正しいの

か分からない。「混沌の時代」だからそうなのか?


 真実を見ようとするから混沌とするのでは?

 大切なことをつかもうとするから混沌とするのでは?

 正しいことを知ろうとするから混沌とするのでは?


 混沌王はのっぺらぼうです。「混沌」という名に反して、

その容貌は単純そのものです。北の帝と南の帝が、そこに分

別を持ち込んでしまったが為に、「混沌」は収拾のつかない

「無秩序」に変貌してしまい息絶えた。混沌を混沌のままに

しておけば、それは最も単純なのだと荘子は言っているので

しょう。それが、命というものの真の姿なのだと。


 現代は、あらゆるものを徹底的にコントロールしようとし

ている時代。それなのに「混沌の時代」と言われる。なぜ

か?

 コントロールする為に分別し、際限なく細分化して来たの

で、世界は手に負えなく複雑になってしまった。「手に負え

ない複雑さ」とは、「無秩序」のことでしょう?

 「混沌の時代」というより、真相は「無秩序の時代」なの

でしょう。一見コントロールされているように見えるけれ

ど、誰も行き着く先を知らないのだから・・・。「どこへ行

く気だよ・・・」と私は思ってるけど。


 理知で認識できない「命」を、混沌のままに受け入れる事

を嫌って分別したために、人は「無秩序」を生みだし、

「命」からはぐれてしまった。


 「七竅(しちきょう)穿(うが)たれて、混沌死す」


 「混沌」は、分別無しの “まるごと全部” のことであって、

無秩序のことではない。


 人は生きている限り、認識し分別をしなければしようがな

い。ただ、それが行き過ぎれば「命」を失う。せめて孔をあ

けるのは六つまでにしておいた方がいいだろう。特に、口は

あけない方が賢明だ。口をあけるとしゃべりだすからね。無

秩序が加速する。目・耳・鼻だけなら受け取るだけだから、

大した問題も生み出さないだろう。むしろ、「命」に楽しさ

が加わるのかもしれない。


 「六竅穿たれて、混沌笑う」


 そんなことかもしれない。と、私は口から出まかせを書き

続ける。




 

 
 

 
 
  

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