2022年5月1日日曜日

おなかの中で



 今日は意識のことを考えていてヘレン・ケラーのことを思

い出していた。

 ヘレンがアニー・サリバンと出会い、「言葉」というもの

の存在を知るまで、彼女はどのような意識の世界に居たのか

と。


 目は見えず、耳は聞こえないヘレンの意識の中には、映像

も音も存在していない。さらに言葉を知る以前のヘレンには

思考活動も無かったはずだ。

 匂いと味と触覚(圧力・痛み・熱さ・湿度)の情報がヘレ

ンの脳内に入って来ても、それは感覚的な「快・不快」と、

その記憶を生み出すだけだっただろう。

 空間の概念は無くても、手を伸ばせば物に触れたり触れな

かったりするので、空間の感覚は有っただろう。けれど時間

については概念を持たないだけではなく、時間の感覚も無か

ったのではないだろうか? 時間の感覚を持つには、視覚によ

る、物が動き、変化して行く認識と、聴覚による音の刺激の

変化の認識が大きなウエイトを占めているだろうから。

 言葉を知ってから、時間の概念や論理、自他など意識がヘ

レンの中に育っていったことだろうけれど、それでもヘレン

の世界はわたしたちとは大きく違う。言葉を使い、思考活動

をするようになっても、ヘレンはわたしたちのように夢を

「見ない」し、夢の中で「話したり」「聴いたり」もしなか

ったはずだ。ヘレンの脳にはその機能が無い。ヘレンは夢を

嗅ぎ、夢に触れ、夢を味わっただろう。それがヘレンの夢だ

っただろう。そして言葉を持つまでのヘレンは、夢を経験し

ていなかったのではないだろうか? 

 夢の中で「嗅ぎ」「触れ」「味わった」としても、思考活

動の無いヘレンの脳は、目覚めた時にはそれらの夢を認識し

保持できなかったと思うのだ。小さな空間と時間の無い世界

に生きていたヘレンの意識は、とても小さく閉じていたこと

だろう。


 そんなヘレンの意識を考えていて、さらに臭覚も味覚も触

覚も無ければどうなるか? 想像してみた。たぶん、外部から

の何の入力も無ければ、そこには意識は生まれないだろう。

けれど、空腹など、内部の感覚は生じるはずだ。

 そこで、映画『マトリックス』の生命維持装置のようなも

のに人を繋いで、身体的に何の不具合も無い状態にして、さ

らに五感からの入力は一切遮断したら人の意識はどうなるだ

ろうか?

 ALS の患者が最後にたどり着く「閉じ込め症候群」とは違

、もう一つの「閉じ込め症候群」と言える状態。

 外からも内からも何の変化も無い。

 生きてはいるが、そんな状態では意識は生まれないだろう

し、すでに意識を持っている人間でも、そういう状態に置か

れれば、意識活動を喚起する刺激が全く無いので、ほどなく

して意識が消えて行くのではないだろうかと思う。

 それは、宇宙空間に一人で浮かんでいるような感覚ではな

いだろうか?

 通常、わたしたちが考えるような意識は無い。けれど生き

てはいる。脳も活動はしている。その時、わたしたちはどの

ような「意識」にあるか?


 実は、わたしたちは皆、その「意識」を知っている。母親

のおなかの中にいた時はそうだったはずだから。


 意識が白紙の状態をわたしたちは知っている。そしてその

感覚を覚えているはずだ。

 母親のおなかの中で、わたしたちは何の不安も不満も無

く、宇宙に浮かんでいたのだ。そしてたぶん、宇宙とひとつ

になっていただろう。だって、ほとんどの感覚入力も無い

し、わずかな光と音などの刺激はあったとしても、それを意

識的に処理することはできない状態なのだから、自他を分け

ることなどできない。分けられなければ「ひとつ」だ。


 そして生まれてきたわたしたちは、その “宇宙とひとつ” の

安堵を求め続けるのだろう。けれども、すでに思考に囚われ

てしまっているわたしたちは、思考の世界の中でそれを探し

てしまう。実は自分がすでにそれを経験していて、その感覚

を憶えているし、“白紙の意識” としていまもそれを持ってい

に・・・。


 言葉を持つ前のヘレンはしあわせではなかっただろう。

「しあわせ」という意識さえ持たなかったのだから。

 だけど、言葉を持ったヘレンも、真にしあわせではなかっ

ただろう。思考の世界の中で「自分」に閉じ込められたはず

だから。

 けれど、思考の世界に身を置いてみなければ、“白紙の意

識” に気付くことはできない。

 わたしたちは、一度、思考の世界で「自分」に閉じ込めら

れる必要があるのだ。自分の中にある “白紙の意識” は宇宙と

ひとつであると意識し直し、完全な安堵に気付くために。
 

 仏教的に言えば、わたしたちは母親のおなかの中から、仏

のおなかの中に生み出されたのだろう。けれど、思考が邪魔

をしていて、その安らかさに気付けないまま生きている。



  

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