2022年6月11日土曜日

命より大切なもの



 コロナ騒動が始まって以来、それまでより増して、「命を

守れ!」とマスコミやら政治家やらが口走る。一般人も口走

っているのかもしれない。私みたいな考えの人間が迂闊にも

のを言うと、えらい目に遭いそうだ。「命より大切なものが

有るか!」などと詰め寄られたりしそうに思う。けど、そう

詰め寄られたら「有るよ」と答えてしまうだろう。

 「命より大切なもの」は「安らぎ」ですよ。


 こういう答えをすれば、「命が無ければ、安らぎを感じる

こともできないじゃないか」というような反論も予想され

る。まぁ、そりゃそうですね。

 とはいえ、それなら人が死んだら「安らかにお眠りくださ

い」なんてことを普通に言うのは、あれは何?


 死後も安らげない可能性があるので、そうならないよう願

っているのか。生きている間には「安らぎ」がないので「死

んだからもう安らげるね」というねぎらいなのか?

 どちらにしても、生きている間にはあまり「安らぎ」がな

いという認識が、「安らかにお眠りください」という言葉を

生んだのではないだろうか。そして、「生き死に」を越え

て、「安らぎ」を望んでいるのではないだろうか。


 拷問でもされたら、「ひとおもいに殺してくれ!」と思う

のではないだろうか?

 閉じ込め症候群になったりしたら「死んだ方がマシ」と思

うのではなかろうか?

 他にもいろいろシチュエーションが考えられるけれど、人

が「命より安らぎが大切」と思う事は、結構普通だろう。


 「命が無ければ、安らぎを感じることもできないじゃない

か」と詰め寄られたら、「安らぎがなければ、生きていても

バカバカしいじゃないか」とも、私は答えるだろう。

 
 「安らぎ」を持っていない人であるからこそ、ことさらに

「命が一番大切」などと言うのではないだろうか? そこに

は、「命を延長したら、“安らぎ” を得られる時が来るので

は?」という渇望が潜んでいるのでは? そんな風に思う。け

れど、そういう人に「安らぎ」は訪れることはないだろう。

 なぜなら、「命が一番大切」という時の、その「命」とい

うのは「個」の「命」を指している。けれど、本当の「安ら

ぎ」を得られるのは「個」の「命」から離れた時だからだ。


 「安らぎ」とは、〈恐れのない状態〉と言えるだろう。そ

して、どのような「恐れ」も、その根源は「死」だ。ちょっ

とした恐れから、人を震え上がらせるような恐れまで、すべ

ての「恐れ」は「死」を想起させるものから生まれる。「命

が一番大切」という意識は、逆説的に「死」を何よりも重い

ものにする。それが為に、「命が一番大切」という思いの、

その強さに比例して「死」はより重くなり「恐れ」も大きく

なる。その結果、「安らぎ」の占めるスペースは無くなって

しまう。けれど、人はその逆説に気付かないまま生きて行

く。


 「安らかにお眠りください」

 その言葉は、普通、人は「安らぎ」というものを本当は知

らないのだということを表しているのかもしれない。人は

「安らぎ」を知らずに生きているのだろう。

 「 “安らぎ” というものが有るらしい・・・」そういう深層

心理が、死後の世界に託されて「安らかにお眠りください」

という言葉になるのかもしれない。


 普通、人が “安らぎ” という言葉を使う時、それは「恐れ」

と、「恐れ」がやわらいだ時が織りなす波の中の、「恐れ」

がひとときやわらいだ時のことを言っているのだろうと思

う。

 けれど、それは「恐れ」が少ない状態に過ぎず、「安ら

ぎ」ではない。だから、死んだ人に対して、「安らかにお眠

りください」という、ねぎらいだか羨望だか分からない言葉

を向けることになるのではないか?「安らぎ」が何かを本当

に知っているわけではないのだけれども、自分にもいつか

「安らぎ」というものが訪れる可能性を希求して。そして、

それが「死」の側に有ることを、人は根源的に知っているの

かもしれない。


 本当の「安らぎ」は、生きている者の感じるような、「恐

れ」の波がひととき穏やかである時間のようなものではな

く、死者の赴いた所のように、永遠に変わらない穏やかさで

はないだろうか(死者に聞いたわけではないけれど)? そし

て、それは多分「死」の側に有るのだろう。そして、生きて

いながらも「死」を受け入れることによって、その味わいを

持つことができるのだろう。


 だって、考えてみて下さい。「死」をまったく恐れなくな

ったとしたら、そこに「不安」が有るでしょうか? わたした

ちは「死」を忌み嫌い、拒絶することによって、「安らぎ」

を失っているのです。


 「命」が何であるかも深く考えたことも無く。「死」が何

なのかもしっかりと考えたことも無く、「命が一番大切」

「死は恐ろしい」と条件的に反応する人たち。


 生まれてきたのだから「命」があるのは当然。

 生まれてきたのだから「死」を迎えるのも当然。

 それを本当に受け入れた時、本当の〈命〉に出会う。

 本当の「安らぎ」の中に落ち着くことができる。


 自分の、命と、意識の、奥の奥・・・。

 そこには、なにものにも乱されることのない「安らぎ」が

ある。

 それは、深く内省すれば、誰にでも分かることだと私は思

っているのですが・・・。



 



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