2022年6月17日金曜日

社会は「安らぎ」を嫌う



 もう二年以上前に『ポジティブ・プロパガンダ』

(2020/1)という話を書いたことがある。まだコロナ騒動の

前ですね。

 “「ポジティブなのが良い事」「ポジティブであるべきだ」

という意識を社会から過剰に植えつけられて、わたしたちは

生きるエネルギーを無駄に使った上に不幸せになっている” 

というような内容だった。


 その時には言及しなかったけれど、人に「ポジティブ」を

刷り込んでおいて、個人がそこに注ぐエネルギーを社会が食

っているんですよね。「ポジティブ」の為に、しあわせに生

きるのに必要なエネルギーより過剰なエネルギーを人が出す

ので、その部分を食って、社会がムダに肥えるわけです。そ

して、肥えた部分を個人に見せて「ほら、社会はまたこんな

にエネルギッシュで豊かになったよ!あなたもそこに加わら

ないと、しあわせになれないんじゃない?だって、そんなに

みすぼらしいじゃない・・・」と不安にさせるというやり口

で、またエネルギーを使わせる・・・。それが「ポジティ

ブ・プロパガンダ」ですが、「ネガティブ・プロパガンダ」

というものも有るわけです。


 それは「ポジティブ・プロパガンダ」をちょっとずらせば

いいだけで、「ほら、社会はまたこんなに不確実で不安定に

なったよ!あなたもこのままこれに加わっていると、しあわ

せになれないんじゃない?だって、そんなに弱々しいじゃな

い・・・」と不安にさせて、不安を解消するようにエネルギ

ーを使わせて、やはり社会がそれを食う。

 どちらも、人がすぐ不安になることに付け込んでいるので

すが、この二つを交互に使って、人にムダなエネルギーを使

わせ続け、個人をスポイルするのが、社会というシステムな

んですね。社会が人を安らがせることはないのです。

 昨日も、「東京がどれほど様変わりし続けているか」とい

う話題をテレビで観たけれど、それは「社会が人を安らがせ

ることはない」ということを象徴しているわけです。動き続

けている。休む(安む)間が無い。


 「よくやるよ」と私は思うけれど、ポジティブにまたネガ

ティブに不安を刺激されて、その解消に陶酔感さえ覚える

人々は、それが自分にとって本当にしあわせかなんて考えて

みもしないわけです。

 けれど、アタマは考えないけど、からだや心(深層心理)

はエネルギーの使い過ぎで疲れ果てて、鬱病やら引きこもり

やらイジメやら依存症やらが増えるし、自殺したり過労死し

たり、理解不能な事件を起こしたりする。でも、そういった

出来事を見ても、人は個人の弱さや異常さのせいだと考え

る。その考え自体も「ポジティブ・プロパガンダ」の故なの

だけど、自分の方が異常になっているのだとは夢にも思わな

い。自分の不幸に気付けない・・・。


 私に権力があるのなら、私もプロパガンダをしてみたいも

のだ。


 「成功者の顔をじっくり見てごらん。ほんとうにしあわせ

そうかい?」

 「“恐い事になるぞ” と言うけれど、“恐い” って本当は 

“何” なんだろうね?」


 わたしたちは、社会に右往左往させられているけれど、人

間本来の在り方からすれば、その数十分の一以下の右往左往

で充分しあわせに生きられることだろう。多くの日々と時間

安らいで過ごせることだろう。

 社会は、人を安らがせないように仕向ける。

 政治が言う事、メディアが言う事、教育が言う事、さまざ

まな組織が言う事、周りの人間が言う事・・・。その「言う

事」をよく吟味してみればいい。あなたを安らがせないよう

にしていることがすぐにわかるだろう。


 社会は「安らぎ」を嫌う。

 安らいでいる人間を見つけたら、即座に揺さぶりにかか

る。

 「そんなことしてていいの?」

 「ヤバことになるんじゃない?」

 そして、じっとしていられないように仕向けて、動き出し

たらそのエネルギーを頂く・・・。


 「そんなことしてていいの?」


 「うるさい!いいんだよ、これで。もうその手には乗らな

いよ」


 そう言って、社会を「しゅん・・・」とさせてやりたもの

だ。少なくとも、心は売り渡さないよと・・・。




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