このところ、私は少し機嫌が悪いようだ。最近書いたブロ
グも、どこかイジワルで投げやりな感じがすると自分で思
う。二年以上も続くバカげたコロナ騒動や、ウクライナでや
ってる戦争のことなんかで、どこかしら不愉快さが溜まって
いるのかもしれない。
《 機嫌の悪い奴はバカである 》
私はそういう認識の人間なので、「ああ、バカになって
る・・・」と、最近の自分を思い、ため息をつく・・・。あ
あ、アタマが悪い。
けれど、しようがないのだ。人は物心付いてから死ぬま
で、バカで生きるしかない。お釈迦様ぐらいになると違うか
もしれないが、それはとてもとてもわずかな例外だ。人はバ
カである。
機嫌が悪くならない人間を見たことが有る人はいないだろ
う。それが、人はみなバカだということの、一つの証明とな
る。
“「自分はバカではない」とか「いつか自分は、バカを卒業
できる」などということは、ゆめゆめ思わないことだ” など
と、マイクを握って街頭演説でもしたいところだ。
誰もが「バカ」の自覚を持てば、世の中はかなりマシなも
のになるだろうと思う。ただし、前向きな「バカ」の自覚で
なければいけないが・・・。
「自分はバカだ・・・」と卑下して、不機嫌になったりし
たらなおさらバカだ。それはバカ過ぎる。
「だって、バカだも~ん🧡」という気楽で謙虚な態度が望
ましいと思うが、これはうっかりすると、「だって、バカだ
も~ん😎」という軽薄で傲慢な、エゴの免罪符になってしま
う。そのあたりは、やはりバカではいけないのだ。
「結局どっちなんだ?バカでいいのか?バカじゃいけない
のか?」という話だけど、「いいか、悪いか」の話ではな
い。バカであることからは逃れられない。誰もが死ぬまでバ
カである。そのことを、徹底的に認識していること。その一
点だけは賢くなければいけないのだ。そして、その一点だけ
賢ければそれでいいのだ。
自分がバカであることを分かっていること。
誰もがバカであることを分かっていること。
その徹底的な理解が、自分と世の中に平和をもたらす。
誰も自分のバカからは逃れられない。それを前向きに認め
て受け入れると、人は穏やかになれる。
自分のバカを許せば、他人のバカも許せるようになる。
他人のバカを許せば、自分のバカも許せるようになる。
他人のバカに出会っても、「しようがないよね」と受け入
れられれば、苛立ちが消える。穏やかさを保てる。
自分のバカに出会っても、「しようがないよね」と受け入
れられれば、自己嫌悪が消える。穏やかさを保てる。
「いいか、悪いか」の話ではない。人は皆バカである。し
ようがないのである。
わたしたちには、バカが作り付けになっている。バカから
は逃げられない。ただ、バカを許せる賢さだけは持っていた
いものだ。それさえあればことは足りる。実のところ、「賢
さ」とは、それだけのことなのかもしれない。
0 件のコメント:
コメントを投稿