2022年6月1日水曜日

バカから逃れられない



 このところ、私は少し機嫌が悪いようだ。最近書いたブロ

グも、どこかイジワルで投げやりな感じがすると自分で思

う。二年以上も続くバカげたコロナ騒動や、ウクライナでや

ってる戦争のことなんかで、どこかしら不愉快さが溜まって

いるのかもしれない。


 《 機嫌の悪い奴はバカである 》

 私はそういう認識の人間なので、「ああ、バカになって

る・・・」と、最近の自分を思い、ため息をつく・・・。あ

あ、アタマが悪い。

 けれど、しようがないのだ。人は物心付いてから死ぬま

で、バカで生きるしかない。お釈迦様ぐらいになると違うか

もしれないが、それはとてもとてもわずかな例外だ。人はバ

カである。


 機嫌が悪くならない人間を見たことが有る人はいないだろ

う。それが、人はみなバカだということの、一つの証明とな

る。

 “「自分はバカではない」とか「いつか自分は、バカを卒業

できる」などということは、ゆめゆめ思わないことだ” など

と、マイクを握って街頭演説でもしたいところだ。


 誰もが「バカ」の自覚を持てば、世の中はかなりマシなも

のになるだろうと思う。ただし、前向きな「バカ」の自覚で

なければいけないが・・・。

 
 「自分はバカだ・・・」と卑下して、不機嫌になったりし

たらなおさらバカだ。それはバカ過ぎる。

 「だって、バカだも~ん🧡」という気楽で謙虚な態度が望

ましいと思うが、これはうっかりすると、「だって、バカだ

も~ん😎」という軽薄で傲慢な、エゴの免罪符になってしま

う。そのあたりは、やはりバカではいけないのだ。


 「結局どっちなんだ?バカでいいのか?バカじゃいけない

のか?」という話だけど、「いいか、悪いか」の話ではな

い。バカであることからは逃れられない。誰もが死ぬまでバ

カである。そのことを、徹底的に認識していること。その一

点だけは賢くなければいけないのだ。そして、その一点だけ

賢ければそれでいいのだ。


 自分がバカであることを分かっていること。

 誰もがバカであることを分かっていること。

 その徹底的な理解が、自分と世の中に平和をもたらす。


 誰も自分のバカからは逃れられない。それを前向きに認め

て受け入れると、人は穏やかになれる。

 自分のバカを許せば、他人のバカも許せるようになる。

 他人のバカを許せば、自分のバカも許せるようになる。

 他人のバカに出会っても、「しようがないよね」と受け入

れられれば、苛立ちが消える。穏やかさを保てる。

 自分のバカに出会っても、「しようがないよね」と受け入

れられれば、自己嫌悪が消える。穏やかさを保てる。


 「いいか、悪いか」の話ではない。人は皆バカである。し

ようがないのである。

 わたしたちには、バカが作り付けになっている。バカから

は逃げられない。ただ、バカを許せる賢さだけは持っていた

いものだ。それさえあればことは足りる。実のところ、「賢

さ」とは、それだけのことなのかもしれない。




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