2024年1月13日土曜日

「正義」が発生しないように・・・



 この前の『メンタル弱くて何がいけない?』でもそうだけ

ど、私は「弱くていいじゃないか」ということをよく書く。

書くけれども、「弱者が正義」みたいなことを思っているわ

けではない。

 世の中では弱者であることを盾にとって、「守られるべき

存在(弱者)をなぜ守らないのか!」という論調で他人を非

難し、攻撃する人間がよくいる。そういう人間は、自分のし

ていることが分からない。「こっちは弱いんだぞ!!」と怒

っている姿のどこが弱いんだ?そういう姿、やり口は滑稽で

下品だと感じる。


 そりゃぁね、強い立場の人間が弱い立場の人間を食いもの

にするのは許し難い。そういうのは非難されて当然です。け

れども、人間は比較することで世界を認識し、人間の世界は

比較することで動いて行くものですから、どのような場所で

もどのような状況でも「強い者」と「弱い者」が生まれてし

まうことは避けられない。その不可避の事実をわきまえず

に、「弱い者が生まれるのはおかしい」とでも言わんばかり

に平等を求めるのは浅はかです。そういう人間はたいてい平

等の立場になっても満足しない。立場が逆転して、自分たち

が「強い者」の側になってはじめて納得するでしょう(と、

私が思っているだけかもしれませんが)。立場は弱いかもし

れませんが、エゴは強いのですよ。


 本当に「弱い者」は声も上げませんよ。

 世の中に対してなすすべも持ちませんよ。だって、本当に

弱いのだから。


 「正義」というものは世の中に発生するものです。個人の

中に「正義」はありません。「正義」は、人のエゴの力を集

める器です。エゴの力を集めて強くするために「正義」は発

生し、エゴに利用される。けれども、本当に弱い者は「正

義」を利用する気力さえありません。ただただ圧し潰されて

いる・・・。

 しかし、「正義」の発生する余地さえないことは福音です

よ。エゴがその人を支配する力を失いかけているということ

ですよ。「正義の無い弱さ」の底には救いがある。


 〈 どん底まで落ちたら掘ればいい 〉と言った人がいます

が、「弱さ」の底の底を覗いてみればいいんです。そこには

もう「世の中」の姿も「正しさ」の誘惑もありませんよ。そ

こにあるのは「解放」です。

 一方、「(世の中の)強さ」の先の先にあるのは、もう比

較することから逃れようがないという「束縛」ですよ。


 正しいかどうかなんて問題じゃない。

 損か得かなんて意味が無い。

 生きられるかどうかなんて考えてもしようがない。

 弱ければ弱いままでそれでいい。

 自分の「弱さ」を正当化する必要も無い。

 自分を投げ出して「弱さ」の中に沈んでみればいいんで

す。


 そこでこそ、わたしたちの意識は解き放たれます。



 

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