2024年1月9日火曜日

メンタル弱くて何がいけない



 You Tube のおすすめの中に、“メンタルを強くするには” 

みたいなのがあった。まぁ普通はメンタルを強くしたいと思

うものなんでしょうが、「メンタル弱い」のはダメなんでし

ょうか?「メンタル弱い人」は、そういう自分を受け入れて

あげればそれでいいんじゃないでしょうか?

 メンタルにしろ何にしろ、「強い」=「善」みたいな価値

観に社会が支配されていることの正当性を疑ってもいいと思

いますよ。

 「メンタルを強くして、自己肯定できるようになりたい」

なんて思ったりするんでしょうが、弱かろうが強かろうが、

宇宙の歴史で一回っきりのそれぞれの人生ですよ。ダメダメ

な自分だとしても、自分を慈しんであげる・・・それがほん

とうの「自己肯定」なんじゃありませんか?
 「強いメンタルを持って、“自己実現” 」みたいなことを言

ったりもするけれど、「自己」を「実現」してからじゃなく

て、強かろうが弱かろうが、「いま実現している自己」を愛

していいんですよ。そうして心の落ち着きを得られたら、そ

の落ち着きをもとに、あらためて毎日を生きてみる・・。き

っと何かが違うはずです。


 弱くてもいいじゃないですか。そのせいで世の中で上手く

やれなかったり、実際的に困ったり、絶望したりするかもし

れない。ことによれば人生半ばみたいなところで生きられな

くなるかもしれない。でも、どの人生もいずれは終わる。ち

ょっと長い短いや、派手か地味かの違いがあるだけ。


 わたしたちは「強い」とか「弱い」とか、なんでもかんで

も比べる習性を刷り込まれてしまっているので、比べること

による価値しか意識できなくなっている。けれど、比べるこ

ととは無関係の絶対の価値というものがある。それは、世の

中とは無関係の、いまここにある自分です。あらゆる比較や

評価をすべて無視し、自分から剥ぎ取ったとしても、いまこ

こに自分はある。それは間違いない。

 強かろうが弱かろうが、不幸だろうが幸福だろうが、いま

ここに自分はある。この自分はあらゆる比較と評価を超越し

てる。どのような比較と評価も、この自分を傷付けることは

できない。それはある意味「強さ・弱さ」とは次元の違う形

での強さです。強さと言うよりは「絶対性」とでも言うべき

敵のものです。


 「メンタルなんて弱くてかまわない」と思えるなら、それ

は逆説的に最強のメンタルだと言えます。そう思えたら「絶

対性」という無敵さまであと一歩です。そして、その一歩は

「絶対性なんて別にどっちでもいい」という納得の上に踏み

出されます。真理は逆説的なのです。


 メンタル弱くて何がいけない?

 出来損ないで何がいけない?

 性格悪くて何がいけない?

 不幸で何がいけない?

 生まれて来てしまって何がいけない?

 死んでしまうことの何がいけない?


 要するに “開き直り” ですが、「直る」という言葉は「ゆが

まず、そのまま」ということ。「開く」という言葉は「開け

放つ」ということ。

 そのままの自分を開け放してしまう。無力になる。


 その、“そのままの自分” に対しても、世の中からさまざま

な評価がなされる。けれど、開け放していれば、その評価は

自分の表面を通り過ぎて行く。そして、その感覚は自分にこ

う告げる。「自分は無敵だな」。


 「自分はメンタル弱い・・・」と思ったら・・・、チャン

スです👍





 

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