2024年1月7日日曜日

そんなん知らんがな・・・



 一年程前の大雪の日に「人生は不要不急」という言葉を書

いた(『不要不急の人生』2023/1)

 「人生は不要不急」。我ながらいい言葉だなぁと思う。

 別にどうしてもしなくてはいけないことは無い。

 急がなければいけないことも無い。

 もちろん、それをしないせいで困ることや、急がなかった

ために困ることもある。あるけれども、本当にしなくちゃな

らないことは、「しなくちゃ」なんて思うこともなくやって

いるだろうし、本当に先に済ませなければならないことは、

「急がなくちゃ」なんて考えずにやってしまうものです。要

するに通常運転の中に収まっている。ことさら「しなくち

ゃ」「急がなくちゃ」という意識が表にでてくることは、本

当は不要不急です。さらに言うなら、生きること自体が不要

不急です。生まれて来るときに何か用事がありますか?

 世の中とか人生とかから何か用事のようなものを教え込ま

されても、「勝手にこの世に生み出されたんだから、そんな

ん知らんがな」と思うのは健全なことだろうと思う。


 とはいうものの、生き物は「さしあたり生きていたい」と

思うようにできているのが普通で、人間の場合、世の中が求

めてくることをある程度はこなさなければ生きるのが難しい

から、なんでもかんでも「そんなん知らんがな」とは言って

られない。なので私の場合だと「世の中をたしなむ程度」に

こなすことになる。で、そこそこ生きられたら、あとは「そ

んなん知らんがな」と・・・。世の中にまともに付き合って

たら狂ってしまうからね。


 世の中は狂ってる。

 カルト教団の信者なんかを見て、人々は「狂ってる」なん

て言うけど、当人たちは大真面目で、自分たちが狂ってるな

んて思わない。同じように、普通の世の中にいる人も狂って

るといえるけれど、当人たちはそんなことは思いもしない。

その中の人は、その中の考えしか持たないから。


 なんで世の中が狂ってて、世の中にいる人も狂ってるって

言えるかというと、それぞれの国や地域や文化の中で、それ

ぞれの人々はその価値観を無視することを異常だと考えてい

るはずだけど、アマゾンの密林の中で狩猟採集生活をしてい

るような人たちも何千年と生きていることを考えれば、いわ

ゆる世の中の価値観ってお約束の妄想でしかない。それを無

視できない現実と捉えて固定してしまっていて、無視する者

はひどい目にあったりするんだから、狂ってるといっていい

でしょう。

 ひどい目にあわされたくないから付き合わなければしょう

がないけど、ほどほどにしておかないと自分も狂ってしま

う。


 こんなことを広く人目に触れる状況で書けば「おまえの方

が狂ってる」と言われる可能性はとても大きい。なのでこん

な辺境で書いている。これが何のためになるのか?そんなん

知らんがな。

 実際、狂ってるのは私の方だというのが正解かもしれない

しねぇ。なにせ、狂っていることは本人には分からない。し

かし、狂気から発せられた言葉は、常識に縛られて苦しんで

いる人の考えを別の方へ向かせる可能性は有るはずなので、

たとえ私が狂っていても、それが誰かの役に立つかもしれな

い。生きていると何が幸いするかしれない。もしかしたら災

いするかもしれないけど、そんなん知らんがな。


 急がず、深刻にならず、世の中の事も、他人の事も、自分

の事も「そんなん知らんがな」とながめれば、本当にすべき

ことが自然に立ち上がってくるだろうと思う。

 「人生は不要不急」

 ありがたいなぁ。
 



 

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