2017年9月22日金曜日

「教育」ではなく、「教⇔育」。


 先日、テレビで 山川宗玄 という臨済宗の老師の話を聴い

たんですけど、その中で “教育” という言葉について、山川

さんがこういう事を仰ってたんです。


 「“教育” という言葉は、『教え、育む』と書きますけ

ど、わたしは『育むことを、教える』と言っているんです」



 これを聴いた時、「はぁ~。なるほど・・・」と思いまし

たね。

 「教え、育む」だと、外から付け加えるのだけど、「育む

ことを、教える」となると、「もともと持っているものを自

分で育てる要領を、教える」ということになりますから、人

にとって大切なものは、もともと備わっているということに

なります。

 私なりに解釈すると、

 「自分の中を観なさいよ」

 と仰ってるんですね。

 まず、“自分” というものを(人間とはどういうものかと

いったことを)、ちゃんと押さえておかないと、世界との関

わりの中で問題ばっかり起きるだろうと。


 「“自分” というものを、ちゃんと押さえていない」とい

うのは、“片足で爪先立ちして生活する” 様なもので、あっ

ちこっちでふらついて、人にぶつかったり、もたれ掛ったり

して、ひっきりなしにトラブルを起こすのは必至です。

 “自分” というものの、人との関わりでは無い在り方をよ

く観て、観察して、理解して、大切にするのだと。

 その上で世界と関わるのが、ものの順序というものでしょ

うね。

 ところが、わたしたちは「教え、育む」教育をされて、

「一丁あがり!」、と世の中に放り込まれてしまう。

 世界中、みんながみんな “爪先立ち” でふらふらの状態だ

から、世の中が落ち着くわけがない。

 いったい何を「教え」、いったい何を「育んで」いるの

か?


 “世の中” が「教え、育んで」いるのは、当然 “世の中の

在り方” と “世の中の維持の仕方” です。それ以外の事を

「教え、育む」理由が無い。“世の中” にとって大事な事は 

“世の中” だけです。人間は “世の中” の為に存在していま

す。(世の中にとっては・・・ということですが)

 しかも、国、民族、地域、業界など、それぞれの人の集ま

りの数だけ、違う“世の中” があって、それらがさまざまに

絡み合い、重なり合いながら、相容れない価値観による対立

や利害の衝突や上下関係を生み出していますから、落ち着く

わけなどありません。

 そんな “世の中” が落ち着く為には、すべての “世の中” 

に共通する普遍的な価値観といったものが必要です。

 すべての “世の中” に共通の存在は人間ですから、「人間

とは何か?」「人間は、どうあるべきか?」という根本的な

理解・理念を人々が持つことだけが、“世の中” を落ち着か

せることが出来ます。その為には、「各人が持つ “人本来の

在り方” を育む」ことを教えるのが、唯一有効な方法だろう

と思います。

 けれど、そんな事は可能か?


 100% 無理でしょう。

 もしも今日から、世界の半分の国が、それを教育の根本に

据えたとしても、それが広まって“世の中” が落ち着くの

に、千年はかかるでしょうね。

 そんな、誇大妄想はさっさと捨てることにしましょう。

 “世の中”  のことは放っておいて、わたしたちがそれぞれ

自分の為に、自分を育むことにしましょう。


 “世の中” に揺さぶられて、自分を見失わないように。

 “世の中” に形作られて、自分じゃない “何か” にならない

ように。

 “世の中” との関わりで生まれた “自分” を、〈自分〉と信

じてしまわないように・・・。

 まず、〈自分〉の中に、〈人〉を再発見しなければなりま

せん。いえ、改めて〈人〉に成らなくてはなりません。


 「大人(おとな)」ではなく、「大人(たいじん)」とい

う言葉がありますね。“優れた人物” “完成した人” といった

意味でしょう。そして、「成人」というのは「おとなに成

る」ことですが、「改めて〈人〉に成って、大人(たいじ

ん)と成る」ことこそ「成人」なのでしょう。


 わたしたちは、「自分を育むことを教わり」成人しなけれ

ばなりません。

 改めて〈人〉に成って、〈自分〉をつかみ直して、しっか

りと地に足をつけて生きなければなりません。



 自分をしあわせにしてやらなければなりません。

 “世の中” (浮世)で、浮かれたバカ騒ぎをしたりしてい

るうちに、命は尽きます。この次は、ありません。

 今ある、この命でしあわせになるしかありません。

 そして、私かあなたの一人でも「成人」出来たら、その分

だけでも周りの “世の中” に良い影響を与えるでしょうか

ら、“世の中” の為にもなるでしょう。
 

 「育むべきもの」「育まなければならないもの」は、わた

したちの中にあると信じていいと思います。


 「育むこと」を教えてくれる、素晴しい師に出会えれ

ば、それに勝る幸運はないのですが・・・。

 



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