2017年9月6日水曜日

「弱いまま」で生きて行く


 〈弱さ〉は人を生かせないのだろうか?

 という話を書くはずだったのに、前回はそこまで辿り着き

ませんでした。

 改めて、「〈弱さ〉は人を生かせないのだろうか?」につ

いて、都合のいい理屈をひねり出してみたいんですが、そん

なこと出来るのでしょうか?


 〈弱さ〉そのものが人を生かすことはできないでしょうね

ぇ。例えば、赤ちゃんは弱い者の代表でしょうが、当然、自

力では生きられません。誰かに助けてもらわなければどうし

ようもありません。

 〈弱さ〉が人を生かすとしたら、「助けたい」という気持

ちを他者に起こさせるという部分でしょうか。


 道端に赤ちゃんが置き去りにされていて、周りに自分以外

誰も居なかったら、そのまま捨て置いて去って行ける人は、

まずいないでしょうね。少なくとも今の日本では。

 こんな場合の〈弱さ〉は人を生かす面がありますが、実際

の世の中は、競争の中で比較され、区別され、時には差別さ

れ、「弱い者」は「強い者」が満足を得る為のダシにされま

す。


 「強い者」は、自分に〈強さ〉を求める人ですから競争

に参加し「強い者」になろうとします。あるいは自分に有利

な状況を見てとると、そこに競争意識を持ち込んで自分の

〈強さ〉を発揮して、「自分は強い・・・」と満足します。

「強い者」には「弱い者」が必要です。



 比較し、相対化しなければ〈強い〉も〈弱い〉もありませ

んから、「強い者」(〈強さ〉を求める者)は比較し、競争

できる状況を求めます。

 そして世の中では誰もが比較し、競争することを刷り込ま

れていますから、程度の差こそあれ、皆が〈強さ〉を求めて

います。「強くなれ」とか「負けるな」とかいう言葉や、無

言のプレッシャーがそこら中にあるのは、そのせいです。

 そして必然的に、その時その時に、その場所その場所で、

「強い者」と「弱い者」が生まれます。

 「強い者」はひと時の満足を得、「弱い者」は挫折、敗北

感を得ます。

 またその副産物として、「強い者」は “お金” や “賞賛” 

を得たりすることが多いので、実際に生活する上で有利な状

況が生まれて「生きられる」ことにもなりますね。


 では「弱い者」はどうか?

 就職試験で「負けて」、職を得られなかったら・・・。

 挫折し、敗北感を覚え、周りに落胆されたりした挙句に

“お金” を得る手段も手に入らない・・・。最悪です・・。

 最悪です・・が、それで「生きられないか?」というとそ

んなことはまずありません。別の仕事ぐらいあるはずです

し、「全くお金が稼げなくて生活できない」なんて事にはな

りません。もしなっても日本には生活保護もありますし、行

政以外でも「なんとか生きさせよう」と(イヤイヤながらで

も・・・)手助けしてくれる人があるものです。

 “自分の望んだ様には「生きられない」” かも知れません

が、「生きられない」事はないでしょう。


 〈強さ〉が必要とされるのは、“自分の望む様に生きたい

場合” であって、「強くない」からといって「生きられな

い」わけではありません。

 “自分の望む様に生きたい” のであれば、〈弱さ〉はその

人を「生かす」事は出来ませんが、その人そのものは「生き

られる」はずです。


 「〈弱さ〉は人を生かせないのだろうか?」


 〈弱さ〉は人を生かせませんね。

 そして、〈強さ〉も人を生かすわけではありませんね。

 〈強さ〉は、世の中で強い立場に立つ為には役に立つもの

ですが、「人が生きる事」そのものには、無関係な様です。

 強かろうが弱かろうが、わたしたちは生きられる様です。

 それが、“望んだ様に” かどうかは、また別の話なんでし

ょう。


 幼くして死んでしまったり、暴力を振るわれて死んでしま

ったり、感染症に侵されて死んでしまったり・・・。

 わたしたちは誰もそんな事は望みません。そんな “望まな

い” 事を避けるのであれば〈強さ〉は必要ですが、そんな時

の〈強さ〉は、自分自身が持ち得るものでしょうか?


 生まれたばかりの赤ちゃんが、まずい状態で、生死の境を

彷徨っている・・・。そんな赤ちゃんが発揮できる〈強さ〉

があるなら、それは持って生まれて来たものであって、意識

して持てるものではないですよね。

 暴力にあって命の危険がある時、それに対抗出来る〈強

さ〉があるかどうかは、相手の〈強さ〉との相対的な関係で

あって、相手の方が強ければ殺されてしまうので、結局

“運” 次第です。(武道の達人であっても、相手がマシンガ

ンを持っていたら OUT です)

 感染症にしたって、どうやって〈強い〉免疫力を持てばい

いのか? 強い病原体には勝てません。


 結局、「生きよう」として〈強さ〉を求める必要は無いと

思いますね。

 〈弱さ〉を厭うことも無用で、自分のあるがままの力で、

自分のあるがままにいきてゆけばいいんでしょう。

 自分に無いものは無いし、得られないものは得られない。

そのままで、それが自分というものですよ。 


 〈強さ〉を発揮して、何かを成し遂げて、喜びを手に入れ

ても、それは脳の中のドーパミンやらアドレナリンやらの快

感物質に操られている様なもんです。

 嬉しいのは結構ですが、


 《 〈強さ〉は娯楽でしかありません 》


 「生きる」というわたしたちの本質とは関係ありません

ね。



 「〈弱さ〉が人を生かせないのだろうか?」という都合の

いい理屈はありませんでしたね。

 でも〈弱さ〉も〈強さ〉も、「生きること」には関係ない

とが分かって良かったです。

 


 途中で、「  強い立場に立つ為には役に立つ  」と

“立つ” が三回も出て来たところがありましたが、〈強さ〉

は、「立つ」「立てる」という事に必要なんですね。

 何を「立てる」のか?

 毎度おなじみの「自分」ですね。〈エゴ〉を「立てたい」

のですねぇ。 




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