2019年5月19日日曜日

怪しい道しるべ



 ブログを始めてから二年以上が経つ。実のところ、始める

前には少し悩んでいた。というのも、頼まれもしないのに物

を書く人間なんて、ロクな奴じゃないと思っているからで

す。

 ナルシストか、独善的な社会派のバカか、神のお告げを聴

いた困った人か・・・。いずれにせよ、独りよがりのメンド

ウな人間だという可能性が高い。にも関わらず、自分がそう

いうことをするのか? しばらく逡巡していた・・・。


 けれど、そもそも自分は立派な人間でもないのだし、いま

さら「バカ」があからさまになったとしても、もういいか。

溜まったものを吐き出してしまえ。そう決めたんです。「こ

れも縁だろう」と。


 そうして始めたブログだけれど、これまで続けてみて分か

ったのは、第一に自分の考えを整理したかったのだなという

ことです。

 単にあたまで考えているよりも、やはり文字にすると、自

分の考え・想いをしっかり摑まえることがことができます

ね。自分の思索が、ほとんど最終段階まで来たように思いま

す。もしかしたら自己暗示が強くなっただけかもしれません

が・・・。



 わたしたちは、それぞれ自分のあたまで考えるしかない。

 誰かが代わりに考えてくれはしない。

 代わりに考えてくれて、それを自分に伝えてくれたとして

も、伝わるのは言葉になることでしかない。

 自分で考えて考えて、行き詰って、それでも考えて、自分

の中にある「重要だと感じる “あるフィーリング” 」を摑ま

えようとし続けていると、ある時、言葉にはならないまま

に、その答えが出る。「ストン!」と身体が軽くなるよう

な・・・。


 “思考のストリップ” とでもいえるような、こんなブログ

を書き続けて来て、自分なりには「役に立ったな」と思うけ

れど、これを読む人にも役に立てばと思う。

 自分の役に立ったのだから、他の人の役にも立つだろう。

だって、同じ人間じゃないか。
 

 じゃぁ、どう「役に立つ」か?
 

 これはこれで、ひとつの道だろうから。


 生き辛さを抱え続けてるひとりの人間が、苦しみながら数

十年考え続け、問い続けてきたことの「要約」なり「要点」

なりが吐露されている。

 それは、山道でどこかの誰かが設置した道しるべのような

もので、それを見たからといってもう迷わないというわけで

はないけれど、その人は自分で歩いてみた上で、「こっちに

は行けるよ」と示してくれている。

 それが信用できるかどうか。自分の行きたい道かどうかを

判断するのは、結局、自分の感覚なり度量なりの問題ですけ

ね。


 私は長く山歩きを続けて来たけれど、そういう「どこかの

誰かが設置した道しるべ」というのは 99.9% 誠実なもので

すよ。“いたずら” には出会った事が無い。

 このブログも誠実に書かれているのは保証できます。た

だ、この人がおかしい人なら、真に受ければ、迷って、泥沼

やら谷底なんかに足を踏み入れるかもしれません。それを見

極めるのは、読む人の力量で、私の関知するところではな

い。


 はなはだ判り難い道しるべではあるでしょうが、矢印ぐら

いは判るはずです。

 ちょっと行ってみませんか?

 本人は、〔 しあわせ ⇒ 〕と書いているのですが・・・、

怪しいなぁ。





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