2019年10月10日木曜日

「そこ」はどこ?



 言葉というものは、いい加減で面白いものです。

 いい加減だからこそ、人を惑わせ、狂わせ、苦しめる。

 その一方で、いい加減だからこそ面白く、人を思いもよら

ない喜びへ導くこともある。


 今日、考えてみたいのは「ここ」という言葉について。

 ホントにいい加減な言葉ですよ、「ここ」は。


 私が今居る「ここ」は神戸です。

 そして「ここ」は兵庫県です。

 さらに「ここ」は日本です。

 そして「ここ」はアジアです。

 さらにさらに「ここ」は地球です。

 言うまでもなく「ここ」は太陽系です。

 お気付きでしょうが「ここ」は “天の川銀河” です。

 も一つおまけに「ここ」はわたしたちの宇宙です。


 何か論理的・文章的に破綻しているでしょうか?

 大丈夫ですよね。


 「ここ」がわたしたちの宇宙ならば、どこもかしこも「こ

こ」だということですよ。

 あなたは今、たぶん日本でこのブログを見ている事でしょ

うが、あなたの居るところも、私が居るところも「ここ」で

す。

 もしもあなたがロシアでこのブログを見ているとしても、

そこも「ここ」です。


 今、〈 “そこ” も「ここ」〉と書いてしまいましたが、わ

たしたちがちょっと意識の持ち方を変えるだけで、「そこ」

も「ここ」になってしまうんですね。これは、言葉のトリッ

クなんでしょうか? 言葉のいたずらなんでしょうか?

 こう考えてみましょう。

 そもそも、この世界には「そこ」も「ここ」も無いのに、

わたしたちのアタマが言葉を使って勝手に世界を分割してい

るだけなんだと。

 わたしたちの意識にとって、本質的には世界のすべてが

「ここ」なのだと。


 よかったら、ちょっと外へ出て空を見上げてください。

 昼でも夜でもいい。ちょっと、空を見上げてみましょう。

 あなたが今居る所から、段階的に意識を広げてみましょ

う。

 そこはどこでしょう?


 「ここは、○○町△△丁目✕✕番地」

 「ここは、○○県」

 「ここは、日本」

 「ここは、地球」

 「ここは、太陽系」

 「ここは、天の川銀河」

 「ここは、宇宙」

 「ここは、・・・。・・・・・・・・・・・・・・」


 どんな感じがしたでしょうか?

 単なるイメージの遊びでしょうか?

 それとも、そこに感じられるのは、意識の本質的な感覚で

しょうか?


 脳科学者のジルボルト・テイラーさんによれば、左脳の機

能を遮断してやれば、脳は「分割的認識機能」を失って、

〈「ここ」が宇宙全体〉という意識状態になるそうです。

 それは普通に言えば脳の機能不全ですが、〈「そこ」も

「ここ」〉という意識が生命の本質だと見做せば、「そこ」

と「ここ」がある状態が脳の機能不全だということになりま

す。

 私は、〈「そこ」も「ここ」〉という意識状態を経験した

ことがあるので言いますが、「そこ」と「ここ」があること

の方が、脳が機能不全を起こしている状態だと思います。過

剰な認識機能です。決して良いことではありません。


 わたしたちは、仕方がないので「そこ」と「ここ」を分け

て暮らしていますが、本当は分けない方がしあわせなので

す。それは体験上断言できます。

 「そこは “ここ”」

 「どこもかしこもすべてが “ここ”」

 その意識は、この上ない安心感と肯定感を生み出します。


 毎日、忙しく「そこ」と「ここ」をうろつき回っているわ

たしたちは、できるだけ多くの時間、〈「そこ」も「こ

こ」〉という意識を持つよう心掛けた方がいいだろうと思い

ます。


 「どこだろうと “ここ” なんだ」

 そう意識していれば、人生で迷子になりようがありませ

ん。

 安心でしょ?






 

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