2019年10月25日金曜日

たどり着くと、何も無い。



 最近よく浮かぶ言葉は「空(くう)」。

「空間」の「空」であると同時に、「空っぽ」という事の

「空」、「色即是空」の「空」・・・。


 「空」にまつわる言葉の中でも、最近特に意識が向くのは

「空間」のこと。

 「空間」を強く意識しだしたのはもう半年ほど前になるだ

ろうか。ある日こんなことを思ったのが始まりだった・・。


 「空間は何にも乱されることが無い。嵐が来ようが、原爆

が爆発しようが、恒星が超新星爆発を起こそうが、宇宙の始

まりのビッグバンが起きた時であろうが、空間は乱されたこ

とが無い。すべてのエネルギーとそれが起こす出来事を内包

し、それを在らしめながら、一切乱されることなく、変化す

ることが無いのだ」と・・・。そして、「すべての瞬間。宇

宙のすべてに、“空間” と “静寂” が透徹しているのだ」

と・・・。

 (ここで言う「静寂」というのは、単に「音が無い」とい

う事ではなくて、「すべての働き(動き)が無い」というこ

とです)


 物質  またはエネルギー   が存在するためには、

「空間」がなくてはならない。

 働きが存在するためには、「静寂」がなくてはならない。

 すべての物と働きが存在しているこの世界の背景には、ど

こまでも「空間」と「静寂」が透徹している。

 それは「存在が無い」という存在であり、「何でもない」

がゆえに完全である。その「空間」と「静寂」の中に、私も

あなたも在る。


 私もあなたも、ほんの些細な、それぞれの一点ではある

が、この世界の「空間」と「静寂」を分け持っている。そし

て、その「空間」と「静寂」は分けることができないがゆえ

に、“些細な一点“ でありながら、私もあなたも、この世界

の「空間」と「静寂」の全分を得ている。いや、それであ

る。

 あらゆる存在、そして人間のその本質・本体は、「空間」

と「静寂」にある。

 「空間」と「静寂」は何にも乱されることがないので、そ

れは完全な平安・安定・充足・・・、そして真の善性として

“存在” を裏打ちしている。


 「自己とは何か?」

 「世界とは何か?」

 その、人間としての根源的な問い掛けは、宗教であれ科学

であれ哲学であれ、どんな形のアプローチであろうとも、結

局のところ「空」というところに行き付かざるを得ないだろ

う。

 「在ること」を意識する為には、「無いこと」置かざるを

得ないのは論理的必然だ。

 けれど、「在ること」と「無いこと」は不可分であり、論

理の手をすり抜けてしまう。論理は「分けられないもの」を

扱えないので、結局、白旗を挙げることになる。


 世界は、最終的には論理を越える。まぁ、当たり前なんだ

けどね、「論理」の前に世界が存在しているのだから・・。

でも、その「当たり前」を無視したいのが「論理」というも

のなんですねぇ。都合の悪いことは無視するにかぎりますか

ら。

 そりゃぁ無視したいでしょう。だって、結局は「敗北」す

るのなら、すべてがムダになってしまうからね。


 ちょっと話がズレかけている。

 ズレかけて気が付いたけれど、「空」とは「論理」・「思

考」が敗北した意識状態ということですね。そして、その

「空」こそがわたしたちの意識の在る場所であり、意識その

もののようです。

 何にも乱されることが無い “それ” が、“そこ” が・・・。





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