2019年11月3日日曜日

静寂と空間は内省を促す



 今日は奈良へ行った。

 久しぶりに時間の余裕ができたので、迂闊にも何も下調べ

をせずに出かけてしまったのだが、行ってみると、秋の行楽

シーズンの日曜日であるのに加え、国立博物館では「正倉院

展」が始まっていて、奈良公園ではフードフェスタが行われ

ているうえに、奈良女子大では “学祭” まで行われていて、

奈良の中心部は恐ろしいほどの人の数だった。


 路線バスは渋滞で全然進まないし、歩道は前から来る人を

よけながら歩くのに気を使い、本当にさんざんだったが、

れでもまぁ唐招提寺と東大寺法華堂を訪ねて、目的は果たせ

た。


 この二つの場所は、奈良で私がこれまでに一番訪れている

所ですが、どちらも「静寂と空間は内省を促す」という言葉

が最もふさわしいと感じられる所です  でも今日はちょっ

と違ったけどね。


 「静寂と空間は内省を促す」というのは、昔『エースをね

らえ!』を読んでいて憶えた言葉で、その通りだと思うので

すが、今回というか最近は、こういうことも思うようになっ

た。


 《 内省すれば、静寂と空間がある 》



 静寂と空間」は環境でもなく、外からやって来るもので

もなく、自分の外や内の状況によって、自分自身の中にみい

だすものである。

 さらに、その「静寂と空間」は自分の中に無限に深まって

いるがゆえに、〈自分〉という枠を無意味なものにして、世

界と一つになってしまうものだと。


 自分の中の「静寂と空間」に気付けば、どのような場所に

も「静寂と空間」が満ちているのが分かる。逆に、どのよう

な場所でも、その場所の背景に「静寂と空間」が満ちている

ことに気付けば、自分を、自分の中の「静寂と空間」に落ち

着かせることができる。

 出来事の後ろに、そして、出来事に揺さぶられる自分の後

ろに、 “完全に平安な場所” が在ることを、わたしたちは憶

えていた方がよい。そこを自分の本拠地にして生きる方がよ

い。いや、そうでなければ生き損ねることになるのだろうと

思う。


 今日の奈良は、まったく「静寂と空間」などと呼べるよう

な場所では無かった。でも、少し視点を変えれば、その「騒

然と過密」は、却ってその背後の「静寂と空間」を際立たせ

るものでもあっただろう。


 一匹の蚊も、一万人の人も、無限の空間を背景に生きてい

る・・。動いている・・・。

 「静寂と空間」にとって、ものの数や量は意味を持たない

だろう。「存在している」という、そのことこそが意味を持

っている(「意味」と言っても、人間の言う「意味」ではな

いけれど)。

 あのおびただしい人の群れは、「静寂と空間」の内を生き

ているのだ。自分がその「静寂と空間」でもあることを、ほ

とんどの人が意識せずに・・・。


 「静寂と空間」を気付かせる場所であるべき奈良が、あの

ような状況なのはまったく皮肉なことだけど  まぁ私も、

その「おびただし人の群れ」の一人ではあったのだった。



             東大寺法華堂(三月堂)  不空羂索観音

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