2021年5月24日月曜日

花の声・虫の声



  今年もまた、家のそばでオオキンケイギクが花を咲かせて

いる。この花が咲いているとその場がパッと明るくなってい

いのだが、オオキンケイギクを見るとどうしても「侵略的外

来生物」という言葉が浮かんでしまう。そしてほんの少し不

愉快になる。(そのことについては前に『オオキンケイギク

に代わって言わせてもらう』2019/5 というのに書いた)


 人間はその時々の自分の都合で、出来事を自分の都合の良

いように切り取って、自分の都合の良いように仕分けする。

そして状況が変われば、そんなことは無かったかのように違

うことを言い始めるという呆れた存在だ。

 「以前は勝手なことを言いました。今回も勝手なことを言

いますが、出来損ないのすることなので大目に見てやって下

さい」というような態度でも見せればまだしも、そんなこと

まず無い。身勝手なまま、人類は滅亡の時を迎えるのだろう

なぁ。人類の一人としては、情けないぁ。


 日本の自然環境が大きく変わって、在来の植物がほとんど

育たなくなったりしたら、その時には国を挙げて外来種を導

入してでも植物を増やそうとするのは間違いない。その中に

オオキンケイギクがはいっていれば、「同胞的外来生物」と

か呼ばれて大切にされるのだろうな。


 外来生物をすべて放ったらかしにしていいとは思わない。

 アメリカオニアザミなどは、恐ろしく硬くて鋭い棘に覆わ

れていて、触るとケガをするのは必定。私も初めて見たとき

にうっかり触れて、ぶっすりやられてしまったが、そういう

本当に危ないのだとか、農地や山地に入り込んで激しく攪乱

を起こすようなものは、やはり取り除くべきだろう。でも、

人間の生活圏で繁殖するだけのものを「敵」のようにあげつ

らうのは、下品なことだろう。その場所はもうすでに人間に

侵略されているのだからね。自分の事を棚に上げて他人を批

判する者が嫌われるのは、世の常なんだから。

 そういう人間のいやらしさを想起させるので、オオキンケ

イギクを見ると、いつも小さなため息をつくこととな

る・・・。


 人間の都合の為に世界が在るわけじゃない。世界の都合で

人間が生まれたというのが素直な見方だろう。

 まずは、世界の都合に想いを馳せてから「さて、自分は? 

人間は?」と考えるのが、この世界の一員であるもののたし

なみではなかろうか?


 前は、オオキンケイギクに代わって言わせてもらったけ

ど、初夏のひと時、オオキンケイギクの話に耳を傾けるのも

良いことだろう。

 べつに、相手がヒメジョオンでもバラでも虫でも鳥でもい

いのだけど、彼らはどんなことを語ると思います?

 「あんたたちはホントウにメンドウクサくてご苦労さんな

生き物だなぁ・・・」

 私には、たいていそういう言葉が聞こえますが・・・。




こちらは、家のそばのサン

ジャクバーベナ(ヤナギハ

ナガサ)という外来種と、

たぶんセイヨウミツバチ。

 かれらには「ここがどこ

か」なんてどうでもいい。















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