2022年1月17日月曜日

風にまかせて



 今日は1月17日で、27年前に阪神淡路大震災が起きた

日。被災者の一人として、朝目が覚めたら一応手を合わせ

た。


 当時は、「震災の帯」と言われる震度7の地域に居た。

 寝てると「ドン」からだが持ち上げられ、そのまま、浮い

たまま身体を揺さぶられているような感覚だった。その時の

ことを例えるのに、いつも「紅茶の缶の中に入れてシェイク

れているゴルフボールになった感じ」と、私は言う。いま

でも、身体がその感覚を覚えている。


 あれから27年も経った。今年も東遊園地(神戸市役所の

横にある公園)で追悼の行事があった。今年は「忘」という

字がテーマとして掲げられていた。「忘れない」と「(辛い

で)忘れたい」という両方の想いを込めて選ばれた一文字

だそうだ。

 「忘れない」も「忘れたい」も、そこには意思があるけれ

ど、私は、ことさら「忘れない」ようにする必要は無いと思

うし、ムリして「忘れる」必要もないと思っている。「忘れ

る」のなら忘れていい。「忘れられない」のなら忘れなくて

いい。そういうなりゆきにアタマが介入すると、あまり良い

結果にはならないような気がする。


 今日も、遺族の追悼に訪れていた女性が泣きながら語る姿

をニュースで流していたが、その姿を見ていて、「う~

む」と考えてしまった。「この人、ムリして忘れないように

してるんじゃないだろうか」と。

 もう27年も経っているんですよ。もう少し受け入れて消化

しているのが普通じゃないんだろうか。私は震災で身近な人

を亡くしてはいないけれど、そう思う。それは、9歳で父親

に自殺されたことを私が受け入れるのに、そこまでかからな

かったから。


 思い出して辛いとかいうのは中学生の頃で済んでいて、自

分なりに一応受け止められていたし、28歳の時には完全に

消化することが出来た。まぁ、20年ほどかかったわけです

が、父親には父親の事情があり、それが父親の人生だったん

だからそれでいいのだと、肯定することができるようになっ

たわけです。そして私は私でいいのだと。

 そのような自分の経験からすれば、27年も経って、まだ

思い出して悔やんで泣いているあの女性の姿は奇異に映るの

です。(うがった見方をすれば、テレビ局のヤラセかもしれ

ない。よくやるそうだから)


 あの女性は27年生きてらっしゃる。その為には食事を摂

らなくては生きていられない。当時、大切な人を亡くして、

数日間食事がのどを通らないということもあったことでしょ

う。けれど、いま生きてらっしゃるということは、当時、ほ

どなくして食事を摂るようになったわけです。それは、その

時点ですでに「忘れる」方向へ進んでいるということを表し

ているわけです。それが自然です。それは「冷たい」とか

「愛が無い」とかいうことを意味していない。生きてゆくと

いうことは、「苦しみ」を忘れることを必要としているので

はないでしょうか?そのような仕組みが備わっているのでは

ないでしょうか?


 「震災を風化させない」、事あるごとにその言葉を耳にす

る。

 確かに、教訓としては風化させない方が良いと思う。けれ

ど、辛さ・苦しみ・悲しみは風化して良いだろう。それが自

然な事だろう。

 酷い言い方だと思われるかもしれないけれど、「悲しむこ

と」は愛ではない。それは執着です。(仏教では「愛」は

「渇愛」といって、執着のひとつです)

 「愛しているから悲しむ」と、普通は捉える。けれど、私

は違うと思う。「悲しむことで、愛しているつもり」になっ

ているだけだと。

 愛しているのなら、その「死」も含めた “その人” を受け入

られるのではないでしょうか? 


 もちろん、すぐに受け入れられるわけではない。泣いて悔

やんで過ごす日々が続いていい。けれど、のどを通らなかっ

た食事がのどを通るようになるように、自然ななりゆき、働

きで、悲しみ、苦しみは薄らいでくる。それを押しとどめる

必要は無い。薄らいでいい。それは愛の不在ではない。愛と

悲しみはまったく別のところに在るもの。悲しみは心に有る

が、愛は魂に在るとでも言えばいいでしょうか。


 大切な人を亡くした悲しみが、完全に消えることはないだ

ろうと思う。けれど、悲しみから苦しみが離れてゆき、悲し

みが愛しさを伴うようになった時、本当に愛し始めたのでは

ないか? そんな風に思うのですがね。



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