2022年1月2日日曜日

「一年の計」・・・何のこと?



 年が明け 2022年 となった。「一年の計は元旦にあり」。

私に計など無い。有ったためしもない。ずっとなりゆきで

生きて来た。

 世の中には計を立てる人も結構いらっしゃるのだろうが、

そういう人も、なりゆきに任せると考える人も、それがそれ

ぞれの人のなりゆきだと思っているので、そこに大した違い

があるようにも思わない。その人はそういう人生だというだ

けだから。私は「今日、誠実に生きたら、それでいいんじゃ

ない?」と思うだけ。私の計は元旦ではなくて「いま」にあ

る。

 いま、自分や自分の周りにとって良いと思えるように動

く。それが最善だろうし、それしかできないだろう。


 ものごころ付いた時から、ほとんどの人は “人生は「何か」


を達成するための手段だ” と刷り込まれてしまう。ひとつのこ

とを「達成」しても、その「達成」は次の「達成」へのステ

ップになってしまい、「達成」とは無関係な部分の「人生」

は見落とされ、スルーされてしまう。そしてそのまま歳をと

って、人生を手段として使ってきた人は、十分に生きてこな

かったので「死にたくない」と怯える・・・。いや、大丈夫

です。もうすぐ「死」を達成できますよ・・・。

 「何か」は、気分良く人生を過ごすための手段にしておか


ないと。


 上に書いた文章は、昨日見た You Tube の動画に書いたコ


メントなんですが、私がこんな考えを持つようになったの

は、余語翠巌老師の『典座教訓』についての講話をまとめた

本を読んでから。

 その本の中で余語老師は「なんでも、手段にすることが一

番ダメだ」ということを仰ってる。その時その時、今してい

ることが目的でなければいけないと。そこに生きることの喜

びや本当の価値があると。

 何かの目的の為に生きるんじゃない。生きることそのもの

が目当てなんだと。



 わたしたちのアタマが作り出すさまざまな意味や希望とは

無関係に、心臓が動き、呼吸をし、寒くなれば自然と暖かい

服を着て、これまでのいきさつに動かされて何処かへ出かけ

て、何かをする。

 そんな無意識と意識とエゴがないまぜになった日々を、今

日もそれなりに生きている。何故かは知らずに生きている。

その生きていること自体を味わう。


 正月というのは、そういう在り方に想いを寄せるのには、

いい機会かもしれない。と、そんな気がしないでもない。

                      謹賀新年


 



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