2022年1月6日木曜日

進化できるか



 この冬も、窓の外でメジロがミカンをつついている。この

小さな可愛らしい生き物が恐竜の子孫だなんてほんとかね。


 「進化」という言葉には肯定的なニュアンスがある。「良

化」というような感じですね。「あとから出て来たものが高

等だ」という暗黙の了解があるように思う。けれど「進化」

の実態は単に「変化」です。


 ダーウィン自身が “evolution” という言葉を使ったのかど

うか私は知りませんが、過ちだったように思う。

 恐竜が鳥になり、チンパンジーが人になったことが「良

い」かどうか分かりません。ただ、そうなっただけのことだ

し、人がこれまでに沢山の生物種を絶滅させてきた事などを

思えば、他の生物からは、「あれは退化だ」と言われそうに

も思う。


 人間の場合、でかくなった脳みそを使って、道具や資源の

さまざまな使い方を生みだして、一般人が宇宙空間へ行くま

でになって、それを「人類の進歩」だとか「人類の進化」だ

とか言ったりするけれど、単なる「変化」に過ぎない。それ

も表面的な「変化」でしかない。心臓がコンパクトで省燃費

になったわけでも、目にズーム機能が付いたわけでもない。

わけもわからず自分たちの周りを改変して来ただけのこと

で、それを「進歩」や「進化」と思いたいだけでしょう。


 人間のいったい何が進んだというのか? 何も進んでやしな

い。アタマも身体も相変わらずで、進んだことと言えば、妄

想を形にする度合いと、環境を食い潰す速度ぐらいのもの

で、本質は何も変わっていない。人は学べば変わるものだけ

ど、人間の本質が変わっていないということは、これまで人

間は学んで来なかったということ。身の回りを飾る手管は高

度化しスケールアップしたけれど、中身は変わっていない。

「変化」さえしていないのだ。「人類の進歩」などという言

葉を使いたければ、せめて、戦争ぐらいは無くしてからにし

てもらいたいものだ。


 もしも、人と人とがみんな仲良くして争いが無くなるのな

ら、私はそれを「人類の進化」と呼びたい。

 どのような生き物にも同種間での争いはある。人間は同種

間でむやみやたらに殺し合うほど、「争う」という点で異常

な生き物だけど、その一方で完全に争いを無くす可能性を持

っている。


 生き物はみんな生存し続けようという衝動を持っている。

その衝動が争いを生む。それは人間も同じ。けれど、意識の

在り方によっては、人はその衝動をわきにどけることができ

る。人が、赤の他人の命を助ける為に、身の危険を顧みずに

行動することは結構ある。私でも、巡り合わせによればそう

いうことはするだろう。その時、人は生存しようという衝動

を越えている。そしてそれは、わずかな例外を除いて人間だ

けができること。ならばそこに人間の真価が有るのではない

か? 人間が「進化」するとしたら、それが普通の事のように

なることではないか?
 

 アタマは悪さをする。それ故に、人間は他の生き物が呆れ

かえるような差別や争いや破壊を繰り返す。けれど、その悪

いアタマが人類のカギを握っている。

 動物の「個体」が、人間の「個人」へ変わり、そして次の

変化が求められている。

 人間同士、人間と他の生き物、人間と環境。それらのもの

と一つである意識を持つ「融合体」のような存在になるこ

と。それは人間だけが持つ可能性だろう。その可能性が発揮

される望みは絶望的に低いとは思うけど・・・。


 「死」を捉え直し、「死」の恐怖を払拭できれば、人はあ

らゆるものと仲良くなれる。人自身もしあわせを生きること

ができる。

 そろそろ「進化」したいね。



 
 

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