2022年1月3日月曜日

生きて花実が咲くものか?  コロナ ㉙



 この前、ワクチンのことや自粛や規制のことを考えてい

て、「雑草が生えるのを嫌って除草剤を撒くようなものだ

な」と思った。

 除草剤を撒いて一時抑えられても、また草は生える。それ

が嫌な人はコンクリートで固めてしまったりするが、コロナ

に対して外国や日本でやっていることの行き着く先は、社会

や人の暮らしをコンクリートで固めてしまうようなものだろ

うと思う。それで人々はしあわせになるのかい?

 地道に「草むしり」をする方がいいんじゃないか?それは

「指定感染症5類相当」にして、発症者の手当てにリソース

を集中するというようなことだけど・・・。


 コンクリートで固めてしまったら、確かに雑草は生えない

が、花も咲かない、実もならない。そこには「生」が無い。

 管理され切った社会には「生活」が無い。そこに暮らす人

間は、規格通りに動くだけ。少々生き長らえられるかもしれ

ないが、それは無機質な「生存」であって「生活」ではな

い。


 「死んで花実が咲くものか」という言い回しがあるけれ

ど、「生存」の為に規格通りの「生」を生きても、そこに花

実が咲くだろうか? 生き残るのは規格通りの「クローン」の

ような人間ではないだろうか?


 世界中の大多数の人間が、社会が奨励し要請する不合理を

受け入れている。管理されることで安心する。彼らは社会の

パーツに成り果てている。せっかく生まれて来たのにもった

いないことだ。それが定めであって、そういう役回りではあ

るのだろう。けれど、私はそんな役回りはゴメンだ(という

役回りらしい・・・)



 花を育てていると、必ず雑草(それぞれちゃんと名前があ

るけど)が生えてくる。私はあまり邪魔にならないものなら

そのままにしておくし、邪魔になるものは「ごめんよ」とい

いながら引っこ抜く。彼らがそこに生えてくるのは、そこが

彼らに適した場所だからであって、「邪魔をしてやろう」と

いうことではない。甘く見ていると、時にはこちらが生かし

たい植物が枯れてしまうこともあるが、彼らは、敵対し、戦

いを挑んでいるわけでもない。自然の成り行きで、必然的に

そこに生えてくるだけなので、別に彼らを憎んだりはしな

い。

 彼らを嫌ってコンクリートで固めてしまうなら、造花を置

くしかない。造花なら枯れないが、そんなバカバカしいこ

と・・・。


 安心安全の為に社会を管理して固めて、造花のような人間

が決まりきった台詞を口にして、マニュアル通りの笑顔を並

べて・・・、何が面白いのか? 誰がしあわせなのか?

 生きてみたくはないのだろうか?




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