2017年6月15日木曜日

広目天の見ているものは?

 先日、十数年ぶりに絵というものを描いてみたら、思いの

ほか良く描けたので、ここに載せてみることにしました。


東大寺 戒壇堂 広目天

 東大寺戒壇堂の〈広目天〉を鉛筆で描いてみました。

 我ながら、「上出来だな」と驚いています。元の写真は以

前に東大寺で買ったクリアファイルです。

 この広目天は、仏像に興味のある人には大変有名な、戒壇

堂の四天王像(国宝)の一体で、天平時代を代表する仏像の

ひとつです。

 土で作られていて(塑像)、非常に写実性の高いもので、

この様な物が地震国である日本で、1300年もほぼ完全な状

態で残っているのは驚きです。

 この四天王像は、どれも驚くべき完成度の高さで、これ以

上は良く出来ないでしょうね。中でも、この広目天は特に人

気があるようですが、それはその眼差しの故でしょう。

 宇宙の果てまで見透しているような鋭い眼。

 その前に立つと、自分の内面の、自分自身も気付かぬよう

なものまで、見られているような思いになります。



 戒壇堂には、今までに5~6回訪れていますが、初めてこ

の像に会ったのは、三十年以上前です。

 当時は〈戒壇堂〉ではなく、〈戒壇院〉と呼ばれていた様

に憶えています。もともと〈戒壇院〉には複数の建物があっ

たのが、江戸時代までに失われて行き、今の戒壇堂と千手堂

だけが再建されたそうで、そのため戒壇ではなく戒壇

呼び名らわすようになって来たのでしょうね。

 今の戒壇堂の中は、二層の壇上に、中央に多宝塔・釈迦如

来・多宝如来が安置され、壇の四隅にそれぞれの四天王が入

口の方を向いて立っていて、下の壇から見上げるように拝観

する形になっていますが、三十年程前は上の壇に上がって目

直かに見ることができました。

 四天王の足元に低い木の柵が置かれているだけで、それこ

そ鼻を突き合わせる様にして見る事が出来たのです。

 同じ目線で、あの広目天の前に立つと、誰しもその眼光の

鋭さにたじろぐのではないでしょうか。(よほど感受性の乏

しい人でなければね)

 単に「怖い」とかいうものではなくて、冷徹でありながら

慈悲深く、見ている者のすべてを貫き透す目。ニュートリノ

が地球さえ透り抜けて行くように、「その眼差しはこの世の

何も遮ることが出来ない」といった感があります。


 「おまえは、何だ?」

 「おまえは、おまえか?」

 「わたしたちは、なんだ?」

 そう問い掛けられているような気がして来るのです。自分

を剥ぎ取られてしまう様な・・・。

 ちょっと考え過ぎの様に思われるかもしれませんが、私と

同じような感慨を持つ人は大勢います。

 広目天について書く人は、大抵そのことに触れますし、知

り合いの女性も、高校生の時になんの予備知識もなく広目天

を見て、金縛りに合った様に動けなくなったと言っていまし

たね。

 今は、昔の様に同じ目線に立つことが出来ないので、残念

です。保安上の問題が有るので致し方ないですが、「あの体

験を多くの人にしてもらえたらいいのにな」と思いますね。

 しかしまぁ、あの様な造形をよくぞ生み出すことが出来た

ものだと感嘆しますね。凄い人たちが居たんだなぁと

 


 ここまで来て、自分の絵に話を戻すのも気が引けますが、

目の鋭さも全然だし、口元も少し締りがないですね。

 それから、絵の横にはヘタクソな字で「諸悪莫作 衆善奉

行」と書いてあります。(そういえば、筆で字を書いたのも

十数年ぶりだなぁ)

 「悪い事をするな。善い事をしろ。」といった意味です

が、広目天とは直接の関係はありません。

 「なにか一言書こう」と思った時に、この言葉が広目天に

は相応しいかなと思ったんです。

 しかし、〈善い事〉とは何なのか? 〈悪い事〉とは何な

のか?

 広目天の前に立ち続ければ、判って来るような気がしま

す。





 
 
 

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