2017年6月24日土曜日

やる気スイッチ OFF



 私がこれまで書いてきたことといったら、「世界は惰性で


動いてる」とか「人並みの人には、人並みの努力しか出来な

い」とか「自由意志は無い」とか、個人を否定する様なこと

ばっかりで、こんなブログを読んでいるとやる気が無くなる

かも知れません。

 なんで、こんな事ばっかり書いているかというと、「やる

気をなくさせよう」と思っているからです。


 “やる気” ってなんですか?

 何を「やる」んですか?

 “やる気” というものを肯定し過ぎていませんか?

 テロリストや犯罪者に、やる気を持たれたら困りますよ

ね。
 

 「おい。テロリストや犯罪者なんて異常なものを引き合い

に出すのは、おかしいだろう!」

 そう思われるでしょうね。


 その通りなんです。異常な事に “やる気” を持つ場合が問題

なんですが、テロリストや犯罪者が「異常」と見なされるの

は、彼らが短期間の内にその異常性を表わすから(異常性が

濃く表れるから)なんです。もしIS(イスラム国)が同じ思

想を50年かけて、武力ではなく政治的に広めたとしたら、

異常さは表立たなくても、結果はイスラム原理主義の差別的

で不合理な社会です。日本が太平洋戦争をした時も、長い年

月をかけて軍国主義と強固なナショナリズムが浸透したため

に、ほとんどの人間に異常さが分からなかった。「戦争を始

める」ところまでは、抜き差しならない時代状況があったの

だと思いますが、「学徒動員」や「特攻隊」、「竹槍訓練」

に至っては、“異常” を「異常」と見ることが出来なかったと

しか言えません。

 当時の日本で “異常” を成立させていたのは、日本人のほぼ

全員です。ひとつひとつの「小さな異常」が集約されて「大

きな力を持つ異常」になっていたのですね。

 《 “異常” は、日常の中に擬態している 》のです。


 私が「やる気をなくさせよう」とするのは、よほど気を付

けていないと、わたしたちは “異常” にエネルギーを注ぎ込

んでしまうからです。

 “やる気” を出す前に、わたしたちの思考が何処を向いてい

るかをよくよく吟味しなければなりません。まず問題なの

は、わたしたちの方向性です。「何をやるか」です。


 経済活動に “やる気” を出し続けた結果が、環境破壊です。

 CO₂の問題にしても、化学物質による汚染にしても、森林

破壊にしても、それらは経済活動による収奪と、ゴミ問題で

す。

 また、過労死、鬱病、格差の拡大なども、経済に “やる

気” を出し続けた結果です。

 個人的な事柄では、「やり過ぎ」がさまざまな問題を作り

出すのは、例を挙げる必要もないでしょう。

 「わたしたちは、どちらを向いて進んでいるのか?」

 それを注意深く見定めていないと、取り返しのつかない事

を引きおこします。

 子供の将来を案じて、レベルの高い学校に入れようとす

る。その時に、子供の能力や適性、20~40年先の社会状況

を考えて方向付けをしているのか?(そんなこと誰にも出来

ないと思いますが)

 「どっち向いてんの?」

 そんな「自問自答」が常に必要です。



 そして、“やる気” そのものについてですが、《 “過剰” こ

そが悪 》と書いた通り、“やる気” があるほどに、人は “過

剰” になって行きます。正常なことでも、度を越せば “異

常” です。

 ちょっとみんな “やる気” を減らすべきです。

 “やる気” というものを、無条件に崇め過ぎです。

 人間がしあわせに生きるだけのことに、それほど “やる気”

は要らないはずなんですけど。むしろ、現代は “やる気” 

人を不幸にしている割合が大きいと思いますけどね。


 「人は未来を見通せない」という事。

 「良い事さえ、度を越すと異常になる」という事。

 この二つは事実です。

 ですから “やる気” の使用には注意が必要です。



 と、ここまで書いといて何なんですが、以前女性の芸能人

か作家の人が、子育てについて、こんなことを言っていたん

です。

 「子供なんてものは、若くて何も分からないうちに、訳も

分からずに、産んで育てちゃうものよ」って。


 これを聞いた時に、凄く納得しちゃったんですよね。

 「子供を産む」ってことは、一人の人間をこの世に送り出

すって事です。これは、とてつもなく責任の重い、「恐ろし

い」とも思える行為です。自分が生きていて、「どう生きた

ら良いのかハッキリ分からない」、「しあわせだと、自信を

持って言えない」、「イイ世の中だと手放しでは言えない」

といった状況で、新しい人間をこの世に生み出すのです。よ

く考えてたら、恐ろしくって子供なんか産めません。なので

「仰る通り」と思いましたね。(とはいうものの、「よく考

えて子供を作れ」というのもホントだと思います。「何も分

から  」というのも、どちらも正しいと思います。矛盾

してますけどね)

 それと、「やる気をだすな」、「どちらに行こうとしてい

るのか考えろ」とか言いましたが、そんなこと言ったって宿

業みたいな事がありますからね。無理ですよね。
 

「じゃあお前は、グダグダと今まで何を言って来たんだ!」

 というお叱りを受けそうですが、「“やる気” を怪しむ」と

いう考えを持っ方がよいと思うんです。

 「“やる気” =善」みたいな世の中の空気が胡散臭い。 

 「生きることを、そんなに大層に煽って、余計なエネルギ

ーを使わせようとするんじゃないよ」と思うんです。

 そんな、大袈裟なことなんですか? 生きるって?

 「大事(だいじ)にし過ぎる」から、「大事(おおごと)

になっちゃう」んじゃないんですか?


 人類が誕生してから、百数十億人ぐらいがこの地上を歩い

たでしょうが、4~5000年前までは「生きて、死ぬ」こと

がもっと淡々として在ったんじゃないかと・・。

 特に現代は、「生きて、死ぬ」ことに余計な意味付けをし

過ぎて、必要のない苦悩を抱え込んでいると思うんですよ。

 もっと力を抜いて、「特別でもない人生を『生きて、死

ぬ』」方が、人は幸せなんじゃないかと・・・。


 ですから、私はこれからも「やる気をなくす様な」ブログ

を書く様に頑張ります!   ←(こういう “やる気” は許される

であろう)



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