2017年6月28日水曜日

まど・みちおさん と げんばく



 
「ときどき、山を歩きます」という話を前回書きました


が、以前はテントやシュラフを担いで、キャンプにもよく出

かけました。

 荷物を全部自分で担ぐ、という事をやっていると、ムダな

物は持って行く気にはなれません。「ムダな物は、ムダにエ

ネルギーを消費するだけだ」ということが、文字通り骨身に

滲みるからです。ですから、「出来るだけ軽く、かつ快適

に、けれど最低限の楽しみは残して」という考え方に、自然

と成ります。今どきの言い方をすれば、「断捨離」ですね。


 「自分の力だけで、自分に必要な物を運んで行く」

 例え2~3日分の物でも、衣・食・住を自分で担ぐのです

から、そういう行為は、「等身大の自分」というものに気付

かせてくれます。

 自分に出来ることは、どの程度か?

 自分に本当に必要な物は何か?


 そういう経験を何度も繰り返していると、「一日を気分良

く暮らす為に、大した物は必要じゃない」ということが分か

ってきます。ほんとに良い経験でした。


 何も「“禁欲主義” に身を投じる」とか、「清貧」とかい

ったことではなくて、「本来的に、大した物は要らないん

だ」ということが分かるんですね。(それで仙人の様に暮ら

せるわけではないんですけどね)

 そうした事を続けているうちに、「物を持つことは

〈悪〉」みたいな考えになっていたんですけど、ある時、詩

人の まど・みちお さんのことを知って、「いわずにおれな

い」(集英社 be文庫)という本を買ったんです。その中の

「ものたちと」という詩の中に、こういう言葉がありまし

た。



 たとえすべてのひとから みはなされた

 ひとがいても そのひとに

 
 こころやさしい ぬのきれが一まい

 よりそっていないとは しんじにくい





 これを読んだ瞬間、私はしばらく固まってしまいました。

 「ほんとだよ・・、そうだよ・・・」と思って。
 

 人間の “心” や “身体” の事ばかり考える方に偏って、

「“物” は必要悪」といった 具合に捉えていたのですが、自

分の浅はかさを識らされたのでした。


 “物” が無ければ人は生きて行けない。「石器時代」でさ

え、“石器” を使っていたわけですから・・・。

 “物” 無しで、人が幸福を得ることができるか?

 ムリでしょうね。


 縄文人が、「火焔型土器」や「土偶」を作った時、そこに

は人間だけが得ることの出来る、“創造の喜び” があったで

しょう。そうでなければ、あんな余計な装飾を施しません。

 《過剰は悪》と書いたりしていますが、「火焔型土器」の

過剰は決して〈悪〉ではない。“人間であることの喜び”でし

ょう。


 人は、自分がクリエイティブであることに、喜びを感じる

と思います。何かを作り出せることに喜びを感じます。

 それは、芸術作品や音楽や文学などだけではなく、DIYや

日常の料理や、物作りの仕事でも感じられます。さらに、ク

リエイティブとは無縁に思われる、掃除などでも感じられま

す。

 「“掃除” がクリエイティブ?」

 そう思われるかも知れませんね。

 でも、“掃除” もクリエイティブです。なぜなら、私は

 《 クリエイティブとは、

   美しい状態を作り出せることである 》

 と定義しているからです。


 どんなに凄い物を作り出したとしても、それが「美しい状

態」を作り出せなければ、クリエイティブではありません。

 何を以て ”美しい” とするかは決められませんが、「原

爆」を “美しい” とする人は居ないでしょう。もし居れ

ば、“狂人” とされても仕方がないですね。「原爆」は醜

悪で、クリエイティブの対極にある物です。(しかし、私

は原爆の「キノコ雲」や巨大な「火球」の映像には、美しさ

を感じてしまいます。そこに、自然法則が強烈に発現してい

るからです)



 何故「原爆」は ”醜悪” で “クリエイティブの対極” なん

でしょうか?

 「とてつもない恐怖」であるから、ということは間違いな

いですが、もうひとつには人間の「等身大の感覚」から遥か

にかけ離れているからです。「見えない」「感じられない」

領域にある物だからです。

 “物” は生身の人間にとっては、“過剰” ですが、それが

「等身大」(個人が自分の力で作り出せるレベル)の範囲で

れば、人間と共にあっても良い物なのでしょう。

 それを越えれば越えるほど、“物” は人から離れ、離れる

ほどに “不可解”な “不気味”な、 時として “醜悪“な、そし

て最後には “恐ろしい”物になる。

 「原爆」を〈悪〉としても、まず批判を受けないでしょう

が(「まず」ですが)、「スーパーコンピューター」はどう

でしょう? テクノロジーの最先端ですが〈悪〉でしょう

か? 異論がでるでしょうね。でも、普通のひとにとっては

(もしかすると専門家にとっても・・)、やはり “不可解” 

で “得体の知れない” 物です。人間が制御し切れるのか?


 人間の歴史の結果として、今の高度なテクノロジーと、そ

れによってもたらされた様々な “物”。それを今さら否定し

ても仕方がない、でも、“人が「等身大」で生み出す喜び ”

が「クリエイティビティ」の基礎になければ、その先には大

きな不幸が待っている様に思うのです。



 たとえばすべてのひとから みはなされた


 ひとがいて そのひとに

 
 こころやさしい すーぱーこんぴゅーたーが いちだい

 よりそっているとは しんじにくい 
( かな?)








0 件のコメント:

コメントを投稿