2018年3月4日日曜日

3.11 “命の循環”


 3月11日が近付いて来て、東日本大震災関係の話がテレビ

に出るようになってきた。

 さっきも、家族がみんな亡くなって自分ひとり残った人

が、話をしていた。

 簡単に言ってしまえば「冥福を祈る」といったことで、

「天国でみんな一緒だから淋しくないよね」ということを話

されていたんだけれど、それを見た私は、「いやいや、向こ

うの方があなたを心配してるでしょう。だって、向こうの方

が家族が揃ってるんだから」と思ってしまったのでした。

 「つらいのは、亡くなった家族より、ひとり残ったあなた

の方でしょ? 優しさを贈るより、家族に甘えた方がいいん

じゃないですか」・・・。


 わたしたちは「生きている」ので、どうしても「生きてい

ること」に絶対的な価値を置いてしまいます。〈死〉をマイ

ナスの価値として見てしまいます。

 けれど、死の理由や状況がどうであれ、〈生〉を受けた限

りは〈死〉は訪れます。〈生〉の価値を絶対視するだけに

とどまっているのではなく、〈死〉の側から〈生〉を想うこ

とも必要なのではないか


 この世界では、途切れることなく〈生〉と〈死〉が繰り返

されています。わたしたちはそれを〈生〉の側から見ていま

すが、この〈生〉と〈死〉のサイクルが、もしも〈死〉をベ

ースとするものであったら、〈死〉を怖れ、忌むことは愚か

なことになってしまいます。


 「〈死〉がベース」というのは、例えて言えば “リンゴの

樹の、「リンゴの実」が〈生〉で、「樹」が〈死〉” だと考

えるということです。

 主体が〈死〉であり、「樹」にあたるとしたら?

 “死ぬこと” は、「実」が落ち、土に返って「樹」に戻る

ことと、同じようなものだとしたら?

  〈生〉の中に居るわたしたちには、それを確かめる術は

ありませんが、そうだとしても不思議ではありません。



 地球上の物質の内、「生命」として存在している量の方が

圧倒的に少ないのは明らかです。そして「生命」は死ぬと、

物質(無生物)になり、物質から、また「生命」が生まれま

す。どう見ても、「生命」より、そのベースである「物質

(無生物)」の方が多いですから、「〈生〉と〈死〉のサイ

クルは、〈死〉がベースになっていると考えた方が良いので

はないんだろうか?」とも思えて来ます。

 思うだけで、確かめられないことですよ。でも、そういう

見方だって出来るのです。〈死〉の側から〈生〉を考える事

も必要でしょう。


 「考える」と言ったところで、〈死〉の側には立てません

が、少なくとも〈死〉をマイナスと捉えず、ニュートラルな

ものとして保留しておく事ぐらいは出来るでしょう。

 〈生〉がステージだとしたら、〈死〉を「降板」という風

に見ないで、〈死〉は幕間の「控室」ぐらいに思えばいいん

じゃないでしょうか。

 次の出番では、違う役柄になっていますが、またステージ

に立ちます。「役柄が変わる」ことをエゴは嫌いますが、

「生命」と「物質」の循環を見ると、そうなっています。


 実は、〈死〉を恐れているのは〈エゴ〉なんですね。

 わたしたちは、生物的な〈死〉を怖れているのではなく

て、わたしたちの〈エゴ〉が、その「役柄」が終ることを怖

れている様です。

 〈生〉そのものは物を考えませんから、〈死〉を恐れるこ

とはないはずです。物を考えるのは〈エゴ〉ですから、

〈死〉を恐れ、厭うのも当然〈エゴ〉ということになります

ね。


 そう考えると、どのような形であれ、〈死〉にこだわり過

ぎる人は、「エゴの強い人」ということになります。


 「家族の死を悼んでる人を、“エゴイスト” だとでも言う

のか!」


 そういう御叱りを受けそうですが、「そう」です。


 私もあなたも誰も彼も、人間ですから、身近な人の死はこ

たえます。平静ではいられません。でも、人は皆、死ぬので

す。命あるものは死ぬのです。その「必ずあるもの」を否定

しても仕方がない。その、置かれた状況がどんなに耐えがた

く思えても・・・。



 「死ぬ者」、「残る者」それぞれの姿は違っても、どちら

も〈死〉と〈生〉の “命の循環” の中にあることに違いは無

い。

 〈死〉や〈生〉にこだわる人  こだわって普通ですが

  は、その循環を自分の都合の良い所で「止めよう」とし

ているのです。「自分の都合」に“命の循環” を合わさせよ

うとしているのですから、「エゴイスト」ですね。


 「大切な人の〈死〉を悼む」

 「〈死〉は自分の大切な人に起きた悲劇だ」

 そういう想いは、“命の循環” の中で、自身を〈エゴ〉と

いうカプセルに閉じ込めてしまい、かえって「大切な人」と

の繋がりを断ってしまうのではないでしょうか?


 いずれは自分も行く道です。

 起きた〈死〉は、「亡くなった者」と、「残る者」、お互

いの為なるべく早く肯定した方が良いと思いますね。

 「役柄」が変わり、「姿」も変わっても、同じステージか

同じ劇場の、同じ「熱気」の中に居るのだと・・・。


(今日は、なんだか「スピリチュアル」色の強い内容になっ

たような感じですが、アプローチは生物科学になってるはず

です。胡散臭いと思う前に、そのへんは確かめて下さいね)




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