2018年3月17日土曜日

親切は結構難しい


 高齢者の介護施設を訪れると、認知症で車椅子に乗

ったお婆さんが、自分にどんな働きをするか知らない

薬を与えられ、飲んでいる。

 食が細くなり、食べ残しが増えると、「もうちょっ

とたべようね」と、介護士がいろいろ策を講じて食べ

させる。 

 手だけ、首だけでもと、ちょっとした運動をさせる

為に誘導する。

 元気で長生きしてもらおうと、考えうる限り管理す

る。

 親切だね。真面目だね。一所懸命だね。いい人達だ

ね。

 でもね…。そうやって管理されて生かされる人生

を、自分の人生としたい人が、どれ位いるのだろう

か?



 「あなたの為です」という言葉の意味も知らぬま

ま、訳も分からず薬を飲む。

 「長生きする為に食べましょう」と勧められて、『

いらない』と感じたご飯を口に運ぶ。

 「嚥下体操しましょう」と言われ、口をパクパクさ

せる。

 “車椅子の九十歳の認知症のお婆さん” が、食べた

い分だけ食べて、分からない薬は飲まず、静かにじっ

と座っていることは、いけないことなのだろうか?

 長生きはそんなに良いことなのだろうか?


 真面目で、一所懸命なのは分かる。しかし、「正し

さ」は人の数だけある。社会における「正しさ」だっ

て、時代で変わる。その「正しさ」をひとりひとりが

自問したことがあるか?



 尊厳死の話に繋がるけれど、「長生き」と「長生か

され」は違うだろう。
 

 個人を尊重するとは、どういうことか?

 時代の常識を当てはめてそれで済むのであれば、苦

労が無さそうだけれど…、いやいや、時代の常識とい

うものは、個人や身体というものを無視して、人を苦

しめることの多いものです。


 私の母は、九十歳で肺ガンの為、3日程苦しんで亡

くなりました。

 私たち家族は、「苦しんだこと」を可哀相に思いま

したが、九十という年齢には不足無く、淡々と見送り

ました。



 




 

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