2018年12月22日土曜日

そもそも、「正しい」ということが “間違い” なんです


 毎回々々、口から出まかせを書き連ねて、今回で三百回目

になる。

 言ってる事は同じで、年寄りの繰り言のようでもある。



 「わたしたち人間の、〈アタマ〉は悪い。気を付けましょ

う」

 それだけのことです。



 わたしたちは「自分が正しい」と思っている。

 「自分は間違っている」と言う時も、「『自分は間違って

いる』というわたしの認識は正しい」という、持って回っ

た “正しさ” を隠し持っている。



 さらにわたしたちは、この世界に「正しいこと」が存在す

ると思っている。

 この世界に存在している “正しさ” を見つけ、認識し、そ

れに拠って立てば、「自分は正しい存在である」と思う。 

 しかし、この世界に「正しいこと」は存在しない。

 「正しいこと」が存在するのは、わたしたちの〈アタマ〉

の中だけだ。自分が「正しい」としていることが「正しい」

というだけでしかない。“正しさ” は人それぞれに違う。人

それぞれどころか、一人の人間の中でも気分や状況によって

“正しさ” は変わる。



 わたしたちは、「正しい」判断をし、「正しい」行動をと

れば「間違いが無い」と考えるので、常に “正しさ” を求め

るけれど、“正しさ” ほど当てにならないものは無い。

 “正しさ” には、何の実態もありません。



 アメリカの “正しさ” は、中国からすれば「間違い」。

 中国の “正しさ” は、アメリカからすれば「間違い」。

 ダンナの “正しさ” は、妻からすれば「間違い」。

 妻の “正しさ” は、ダンナからすれば「間違い」。



 みんな自分の都合の良いように、好き勝手に「正しいこ

と」を言う。ほんとうに始末が悪い・・・。



 誰もが “「正しいこと」がある” ということにしておきた

い。そうしないと、自分の言うこと為すことが、「自分の都

合でしかない」ということが表沙汰になるので、好き勝手が

しにくくなる。

 「それは、お前の都合だろ!」

 その一言で、終わらされてしまいますからね。



 何度も何度も言わなければならない。

 《 「正しい」とは、

    そういうことにしておけば気が済むということ 》

 でしかないと。



 初めてこの言葉にふれた人は、うっかり「その言葉

は、“正しい” のかよ?」などとツッコんではいけません。

泥沼にハマりますよ(などと言って、わざと泥沼にさそう悪

い奴・・は、私です)。それはともかく、本当に考えてみて

欲しいんです。「正しい」とは、そう定義するしかないんで

す。


 「正しい」は、わたしたちの〈アタマ〉の中にしかない。

 言葉を変えれば、ある文脈の中だけでしか成立しない。


 “正しさ” が良いことをもたらすのは、その “正しさ” が有

効な文脈(状況)の中だけです。つまり “正しさ” は常に、

「条件付きで、『正しい』」ということです。


 わたしたちは、人の意見を認めたりする時に「正し・・」

と前置きすることがありますね。あれは条件を付けているわ

けですが、「正し」または「正す」という言葉は、“条件付

け” や “方向付け” をするという事でしかありません。「正

しい」という言葉も同じです。

 ところがわたしたちは、「正しい」という言葉に、〈絶対

の善〉とでも言う様な意味合いを持たせている様です。


 「正しい」という言葉を定義する時に、わたしたちは

「【正しい】とは、正しいことである」としか言えません。

 【正しい】を ”正しく” 定義することは不可能だからです

(分かってもらえますよね?)。

 その結果、誰が・何を「正しい」と主張しようが、誰もそ

の “正しさ” を否定する事ができません。なぜなら、誰も

「正しい」という事がどういうことなのか、「正しい」が何

なのかを知らないからです。


 その「正しい」の得体の知れなさを分かって欲しくて、

《「正しい」とは、そういうことにしておけば気が済むとい

うこと》だと、私は言うのです。


 「正しい」を主張し、訴える人を動かしているのは、べつ

に〈善〉というようなものではなく、不安や恐怖、そして欲

望です。

 「正しい」という言葉を、多くのエゴイストや小心者が利

用して、人を欺いて来た。

 「正しい」という言葉の為に、誰もが傷付き、悲しみ、苦

悩し、命まで奪われてきた。

 「正しい」は、とっても胡散臭くて、醜悪です。
 

 私は思います。

 《「正しい」を「正しい」と考える事は

        「正しいこと」ではありません 
 



 それにしても、なぜ誰も彼もが「自分は正しい」と思いた

いのでしょう? 

 正しかったら何か良いことでもあるのでしょうか?


 あるのです。


  自分が正しかったら、自分の “正しさ” を正当化出来るの

です。


 で、それがなんなんでしょうか・・・・?



 ということで、こう結論付けましょう。


 《「正しい」ほど、“間違ったこと” はない 》







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