2018年12月31日月曜日

止まれ!



 大晦日です。

 《光陰矢のごとし》。

 《月日は百代の過客にして・・云々》。

 そして《諸行無常》。

 気付けば、一年は過ぎ去り、跡形もない。

 記憶の中では、この一年は存在したけれど、はて、それが

本当にあったかどうか?


 べつにボケてるんじゃないですよ。「過去の出来事が実際

にあったかどうかは、本当は検証不可能だなぁ」と思うだけ

です。

 なぜなら、過去を検証しようとする行為自体が次の瞬間に

は過去になってしまいますから、“過去を検証しようとする

行為” が過去にあったかどうかの検証が必要になります。そ

うやって、無限に検証が必要になってしまうので、「検証不

可能」だというわけです。

 メンドウなこと言ってますが、べつにそれでどうこうとい

うことではありません。大晦日を迎えて、「思考」で遊んで

るだけです。



 とはいえ、そのように《諸行無常》で捉えどころのない年

月を、わたしたちは一年で区切って「良かった」の「悪かっ

た」のと採点したりする。

 この一年が百点だろうが十点だろうが、そんなものもう無

い。“イイ想い出” でも有る人はちょっと機嫌良くなれるか

もしれないけれど、それだけのことでしかない。まぁ、一年

の記憶が商売の役に立ったりはするのだろうけど。



 この一年がどうであれ、今こうして生きているのなら、百

点じゃないの?


 わたしたちには、“今” しかない。

 “今” があるのなら、わたしたちは生きている。

 “生きること” って、“今” があって “生きている” ってこ

とがすべてだから、「今、生きている」のなら百点でしょ

う。

 で、生きている人は、誰もが「今、生きている」のだか

ら、生きている人は、みんな百点でしょう。

 さらに、すでに死んだ人も、死ぬ瞬間までは「今、生きて

いる(今、を生きていた)」ということだったのだから、み

んな百点でしょう。


 そんな風には思えないと言われるかもしれないけれど、わ

たしたちの〈アタマ〉がしゃしゃり出て、もうすでに無い過

去にこだわって、妄想して、比べて、評価しなければ、《諸

行無常》でサッパリしたものです。

 “今、生きている人” は、「生きている」という一点にお

いて、誰も彼も等価です。

 生命にとって、「生きている」ということがその真価であ

って、人であれ他の生き物であれ、それ以外の事は枝葉末節

の事でしかありません。

 “今、生きている” のなら、それで完璧です。



 『いま生きているということ』という、小室等さんの曲が

ある。谷川俊太郎さんの詩に小室さんが曲をつけて、1976

に発表した曲。

 当時、中学三年生だった私は、生まれて初めてコンサート

というものに行きました。それが、神戸文化ホール・中ホー

ルであった、小室等さんのコンサートで、その時に生でこの

曲を聴き、とても感動した。


 この世界で、この瞬間、無数の出来事が起っていて、そこ

にはそれぞれ、その出来事を受ける人がいる。出来事そのも

のである、その人がいる。今、生きている一人一人が・・。


 無数の命が今を生きている中で、ただ人間だけが命以外の

事に惑わされ、今生きていることの価値を受け取りそこな

う。

 〈アタマ〉を持ち、「思考」せざるを得ないわたしたち人

間が、区別し、評価することから解放されることはとても難

しい。

 過去を抱え込み、未来を妄想し、〈アタマ〉は「思考」し

続ける・・・。


 「止まれ!」


 今、生きているこの時、この場所、この命を味わう為に。

 今、生きているこの時、この場所、この命に親しむ為に。


 振り返ることを止めない、先走ることを止めないわたした

ちの〈アタマ〉に号令を掛ける。


 「止まれ!」 と。


 一年を締めくくり、新しい年の始まりに気持ちを入れ替え

るなら、自分にそう言ってみるのもいいんじゃないかと思

う。


 2019年 1月1日.午前 0 時。


 「止まれ!」


 自分を、命を、確かめる。



 良いお年を。






 




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