2018年12月3日月曜日

「チコちゃん」に叱られても・・


 先日、NHK の『チコちゃんに叱られる』を観ていると、

「天気の晴れや曇りはどうやって決めているのか?」という

話題にふれていました。

 解答は「気象庁の職員が、目で見て判断する」ということ

で、「全天の二割以上青空が見えていれば『晴れ』、それ以

下なら『曇り』、八割以上見えていれば『快晴』」というこ

とだそうです。

 それを観た私は、「二割、青空なら『晴れ』なのか・・」

と一人で呟き、それに続けて「人生も『二割、青空』なら晴

れとするべきだよなぁ」と呟いたのでした。


 わたしたちは、「『快晴』でなければしあわせではない」

という感覚で、人生を見ているのではないでしょうか?


 ちょっと収入が減ればため息をつき、ちょっと誰かに批判

されれば腹を立て、ちょっと身体の具合が悪いと大騒ぎをし

たり、恋人や友達とちょっと距離が出来たような気がすると

悩んでしまう・・・。そんな姿を見ていると「人間は『快

晴』でなければ、天気が悪い」と思っているのだと分かりま

す。


 それに比べて、天気は「八割曇っていても『晴れ』」なの

です。そのおおらかさというか、ゆとりを人生にも適用すべ

きじゃないでしょうか。

 たとえチコちゃんに叱られても、もう少し「ボーッ」と生

きた方が良さそうです。生きることに対して、あまりにも高

いレベルを求め過ぎですよ。


 『チコちゃんに叱られる』は好きですが、あまり「キッチ

リ」生き過ぎると、自分自身に叱られるかも知れません。


 「キッチリし過ぎてんじゃねーよ!」


 現代の日本はキッチリし過ぎです。

 「管理」「管理」また「管理」・・・。

 みんな息苦しいけど逆らえない。

 逆らうと、「命」とか「健康」とか、「環境」とか「子供

やお年寄りなどの “弱者”」を守る為などと、反論する事さ

え許されない “黄門様の印籠” のようなものを突き付けられ

て黙るしかない・・。

 その一方で、息苦しさに耐え切れず、「鬱病」や「パニッ

ク障害」を発症したり、「虐待」や「いじめ」や「理由無き

殺人」などが起るのだと思う。


 「命」や「健康」、「環境」や「弱者」を守るのは良い。

でもそれらがあまりにも観念的になり、完璧を求めるように

なると、健康を気にし過ぎて “健康ノイローゼ” になるよう

なもので、却ってそれらを害してしまうでしょう。


 『過ぎたるは及ばざるが如し』と言うけれど、私は『過ぎ

たるは及ばざるより悪しき』と思っています。

 自動車をジャンジャン走らせて、窒素酸化物やベンゼンな

どの発ガン物質を撒き散らしながら、「命」や「健康」や

「環境」を守れなんて、お笑い草です。それに、「環境破

壊」の最も大きな要因は、人間の多さです。「命」と「健

康」を守り、人が増え、長生きするほどに、環境負荷は増大

します。そして、個人の〈自然が与える以上に、「長生きし

たい」「(物質的に)より良く生きたい」〉というエゴが強

くなるほど、管理は厳しくなり、わたしたちの “生身の命” 

は生き辛くなって行く・・・。


 わたしたちは、エゴに生殺しにされているのです。

 それが、ほんの少し進めば、本当に死んでしまうほど

に・・・。


 わたしたちはもう少し「ボーッ」と生きるべきでしょう。


 「ボーッ」と生きてると、強欲な連中に利用されてしまっ

たりしますが、ほとんどの人間が「ボーッ」とすることに安

らいで、焦ったりしなければ、それを見た「セカセカ」した

連中が、自分たちの「セカセカ」に虚しさを感じる可能性だ

って無いとは言えない。


 「働かないと殺すぞ!」と脅されても、「ああ。別に長生

きしなくてもいいよ。どうせ終わる人生だし。」などと反応

されると、利用したい側は困ってしまう事でしょう。

 それで結構な数の人が本当に殺されてしまっても、ほとん

どの人がそういう在り方であれば、利用したい側は、やがて

なすすべが無くなる・・・。〈平和〉って、そういうアプロ

ーチでしか実現できないんじゃないのかなぁ。


 ・・・話が、思わぬところまで転がってしまった。

 元に戻して、終わりましょう。


 「二割青空なら、『晴れ』」なんです。

 そういうことにしませんか。

 わたしたちの〈人生〉も、この “大袈裟でクソ真面目で考

えの浅い〈世の中〉” も。








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