2018年12月26日水曜日

弱音を吐ける強さ~BUNP OF CHICKEN の「本当」


 この頃、BUNP OF CHICKEN をよく聴いている。

 メジャーデビュー当時から好きだが、今回は第四次のマイ

ブームといったところ。



 彼らの曲の魅力は改めて言うまでもないが、その一つを挙

げるとしたら、バンド名とも絡むが「弱音を吐いてしまう」

ということにある。

 「強さを求める」気持ちはあるけれど、BUNP は「強が

らない」「強いふりをしない」。

 弱さをさらけだしてしまうことが、Fuji くんのボーカル

と相まって、曲に血を通わせる。BUNP OF CHICKEN に

多くの人が惹かれるのは、彼らの音楽には血が通っているか

らだろう。



 そこには、薄暗く、見通しの利かない社会の中を彷徨い続

け、くたくたになって座り込んでしまいそうになりながら、

なんとか立っている生身の人間がいる。綺麗ごとでも、お為

ごかしでもない、その「生」の言葉が、同じような思いをし

ている人たちを勇気づける。


 〈 生活は平凡です 平凡でも困難です ・・・・・

   ・・・・・・死にたくなるよ 生きていたいよ 〉

                才悩人応援歌  



   バンドをやろうなんて人間は、イイカッコを言いたいも

のです。「強くなろう!」なんて・・・。

 しかし、BUNP は「強くなれない・・。上手く行かな

い・・。どうにかこうにか生きている・・」といった “弱

音” を吐く・・・。はなはだカッコワルイ。でもそれが人間

の「本当」だろう。「本当」だから、言う。


 弱音を吐く音楽というものは、もちろんこれまでもあった

し、多くの共感を得てヒットした名曲もいろいろとある。た

だ、BUNP の吐く弱音はあまりにも「生」だ。リアル過ぎ

る。なぜそうなのかはよく分からないけれど、要するに「本

当」を歌っているからだろう。

 そういった「本当」を表明する者が珍しいということは、

逆に言えば、世の中は「本当じゃない」言葉であふれている

ということです。


 誰だって弱音を吐くことはある。けれど、基本的に「弱音

を吐くこと」は歓迎されない。“イケナイこと” に分類され

ている。だから、誰もが、弱音を吐かないようにしているの

だが、それは “イイこと” なのか?
 

 「弱音ぐらい吐かせろよ」と言いたいね。


 たぶん、世界中で、「弱音」はしまい込まれている。しま

い込まされている。


 「弱くてはいけない」

 「強さを持たなければいけない」

 でも、なぜ?


 わたしたちは何も分からないまま、何か」を得ようとす

るエゴとエゴの闘争の中に放り込まれる。その中では、「強

くなければいけない」。

 弱みを見せると軽く見られ、バカにされ、食いものにされ

てしまう・・・。だから、自分を守る為には、弱音を吐くわ

けにはいかない。ごく身近な人の前で、ごくたまにだけ許さ

れるぐらいだ。


 誰もが、「弱音を吐かず」、「強くあろう」とするけれ

ど、そんな生き方に向かわせる世の中は、本当に “良い世の

中” なのか?

 誰もが気楽に弱音を吐ける世の中の方が、人間的で、自然

で、生きやすい平和な世の中なんじゃないだろうか。


 そりゃぁね、毎日毎日、朝から晩まで弱音を吐いているよ

うな人間はウザイですよ。そういう人間にはカウンセリング

が必要です。「もう、死んだら?」ぐらいのことを言われた

としてもしようがない。

 けれどね、小さな弱音を一日に二~三回。大きな弱音を年

に一~二回吐くぐらいが、人間として健全なんじゃないかと

思う。それを “イケナイこと” と見做す世の中の方が、たぶ

病気なんですよ。人間の本来性から外れた「何か」に、無

用な自己否定を強いられているですよ(まさに「強いられ

て」いるんですね)。


 想像して欲しい。

 誰もが、苦しい時には気軽に弱音を吐き合える世の中を。

 どう考えたって、生き易いでしょう。

 苦しかったら弱音を吐いて、その時、力を出せる人は弱音

を吐いている人を助けてあげる。そうやって「お互い様」で

動いて行く・・・。弱音を吐いたからって、社会が停滞する

わけじゃない。むしろ、物事がスムーズに進んで行く気がす

る。


 もしも、世界中の男が素直に弱音を吐けたら、戦争なんて

無くなるだろう。

 「殺し合いなんてやだよ。死ぬのは嫌だし、ケガしたら痛

いだろ?」

 そんな「弱虫」ばっかりだったら、どうやって戦争する?


 けれど、現実の世の中は「弱音」を否定する。

 その方が、『誰か』に都合が良いんでしょうね。



 そんな、この世の中で、BUNP OF CHICKEN は大きな

声で「弱音」を吐く。

 バカにされたり、なめられたりするリスクがあるのは承知

の上で、それでも「本当」だから言わずにいられない。


 それは、ひとつの勇気の形だろう。

 それは、あきらかに「強さ」だろう。

 それは、「強がり」ではない「強さ」だろう。


 「強さ」といっても、「弱さ」を逆手に取って “弱者の論

理” を振りかざすような姑息なものではない。人として当然

持っている「弱さ」を、お互いに認めようというだけの話だ

と思う。「 “本当” を認める強さ」とでも言うべきか・・。


 “強がりごっこ” が、いつから続いているのかは知らない

けれど、もうそろそろお終いにしてもいいいんじゃないか。

 それが、“ごっこ” に過ぎないことを、本当は誰もが口に

したいのだろうと思うし・・・(だからこそ BUNP が支持

される)。
 

 とはいうものの、エゴの強い者は抵抗するだろうけどね。

 エゴは世界征服を目指してるから、「強さ」という “支配

の策略” を手放したくはない。世界を征服したところで、何

にもならないんだけどね。それが分からない。〈アタマ〉は

バカだから。


 誰にでも得意なことと苦手な事がある。

 誰にでも、強くいられる時と弱音を吐きたい時がある。

 それが自然。それが人間。

 そんな当たり前の事が、何故受け入れられない?


 弱音を吐かせてあげられるというのは、愛なんだけどね。






 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿